今年は県産酒の「蓬莱」をいただいた。
しかし、同じ岐阜県でも、私の住まう美濃地方と違って、このお酒の産地は飛騨地方である。しかも飛騨市。
とはいえ、この飛騨市という地名には未だに馴染めない。というのはこの市は、いわゆる平成の大合併で2004年に誕生したもので、それ以前は、古川町、神岡町、河合村、宮川村といった。
そして、その時代にこそ、私はこの地方と渓流釣りなどを介しての接触が多かったのであった。もう、渓へ行かなくなってから久しいが、宮川、小鳥川、高原川などにアマゴやイワナを追いかけた日々のことが昨日のように瞼に浮かぶ。
現在の市勢は、人口23,000弱だとのことだが、その広大な山地や森林の面積からいって、熊や鹿、猪のほうが数多く棲息するのではないだろうか。

このうち神岡町は、かつては日本4大公害病の富山イタイイタイ病の原因となったカドミウム垂れ流しの三井金属鉱業神岡事業所の所在地として知られていたが、近年は、スーパーカミオカンデでその名を知られ、日本人がノーベル物理学賞をとったりするごとにクローズアップされる。
また、2、3年前には、アニメ映画『君の名は。』のモデルではと騒がれ、聖地巡りの若者が押し寄せたこともある。

私がこの正月にいただいたお酒の蔵元・渡辺酒造は、旧古川町にあり、まだ合併前にそこを訪れたことがある。その折は、街づくりのディスカッションの講師としての来訪だったため、一般の蔵元探訪とは違って、社長がピッタリ張り付いての案内で、各種の酒が飲み放題だった。
願ってもない機会とはいえ、やはりベロンベロンになるのははばかられるので、ブレーキをかけるのに苦労した。
古川町は、1月15日、女性がその恋の成就を願う三寺参り(蝋燭の灯りに導かれて三つの寺を巡る)や4月の勇壮な「起こし大鼓」の祭りも見ものである。
なお、この地は、女工哀史でも知られる長野県の岡谷などへの若い女性の出稼ぎの基地であり、飛騨地方一帯から集められた女性たちがこの地へ集結し、険しい野麦峠を越えて信濃側へと旅立つのだった。そして、勤めを終えて帰り着く地でもあった。その行きと帰りとの人数の違いに、当時の厳しい労働環境が示されている。
たかが正月の酒である。老いたる酔いどれの感傷含みの思い出である。しかし、酒がその産地の歴史や伝統を反映したものであるとするならば、私がこれらの他愛もない回想とともにそれを味わったとしても、むべなるかなである。
特定の場所のアウラをもたない大メーカーの酒にはない、地酒を嗜む特典がここにある。

写真のぐい呑みは、私の友人が東濃の方の窯元で見つけたものをわざわざ届けてくれたもので、感謝を込めて、正月中はこれでお酒をいただいた。
このぐい呑みに記された六文銭がポイントなのだが、現役引退以降約20年、もはやそれをわかってくれる人も少なくなった。
それだけに私にとっては、ありがたい授かりものであった。
*なおこの飛騨市の「騨」は正式には「驒」の字であるが、PCやワープロによっては「驒」の文字がないものがあり、総務省の特例措置として「驒」または「騨」、どちらを使用してもいいことになっているのだそうだ。
しかし、同じ岐阜県でも、私の住まう美濃地方と違って、このお酒の産地は飛騨地方である。しかも飛騨市。
とはいえ、この飛騨市という地名には未だに馴染めない。というのはこの市は、いわゆる平成の大合併で2004年に誕生したもので、それ以前は、古川町、神岡町、河合村、宮川村といった。
そして、その時代にこそ、私はこの地方と渓流釣りなどを介しての接触が多かったのであった。もう、渓へ行かなくなってから久しいが、宮川、小鳥川、高原川などにアマゴやイワナを追いかけた日々のことが昨日のように瞼に浮かぶ。
現在の市勢は、人口23,000弱だとのことだが、その広大な山地や森林の面積からいって、熊や鹿、猪のほうが数多く棲息するのではないだろうか。

このうち神岡町は、かつては日本4大公害病の富山イタイイタイ病の原因となったカドミウム垂れ流しの三井金属鉱業神岡事業所の所在地として知られていたが、近年は、スーパーカミオカンデでその名を知られ、日本人がノーベル物理学賞をとったりするごとにクローズアップされる。
また、2、3年前には、アニメ映画『君の名は。』のモデルではと騒がれ、聖地巡りの若者が押し寄せたこともある。

私がこの正月にいただいたお酒の蔵元・渡辺酒造は、旧古川町にあり、まだ合併前にそこを訪れたことがある。その折は、街づくりのディスカッションの講師としての来訪だったため、一般の蔵元探訪とは違って、社長がピッタリ張り付いての案内で、各種の酒が飲み放題だった。
願ってもない機会とはいえ、やはりベロンベロンになるのははばかられるので、ブレーキをかけるのに苦労した。
古川町は、1月15日、女性がその恋の成就を願う三寺参り(蝋燭の灯りに導かれて三つの寺を巡る)や4月の勇壮な「起こし大鼓」の祭りも見ものである。
なお、この地は、女工哀史でも知られる長野県の岡谷などへの若い女性の出稼ぎの基地であり、飛騨地方一帯から集められた女性たちがこの地へ集結し、険しい野麦峠を越えて信濃側へと旅立つのだった。そして、勤めを終えて帰り着く地でもあった。その行きと帰りとの人数の違いに、当時の厳しい労働環境が示されている。
たかが正月の酒である。老いたる酔いどれの感傷含みの思い出である。しかし、酒がその産地の歴史や伝統を反映したものであるとするならば、私がこれらの他愛もない回想とともにそれを味わったとしても、むべなるかなである。
特定の場所のアウラをもたない大メーカーの酒にはない、地酒を嗜む特典がここにある。

写真のぐい呑みは、私の友人が東濃の方の窯元で見つけたものをわざわざ届けてくれたもので、感謝を込めて、正月中はこれでお酒をいただいた。
このぐい呑みに記された六文銭がポイントなのだが、現役引退以降約20年、もはやそれをわかってくれる人も少なくなった。
それだけに私にとっては、ありがたい授かりものであった。
*なおこの飛騨市の「騨」は正式には「驒」の字であるが、PCやワープロによっては「驒」の文字がないものがあり、総務省の特例措置として「驒」または「騨」、どちらを使用してもいいことになっているのだそうだ。