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タナハシ・コーツ『ウオーターダンサー』を読む アメリカの明暗について

2022-02-21 02:10:21 | 書評

 おそらくこういう書の選び方はあまり尋常ではないかもしれない。作者の名前に惹かれたのである。
 図書館の新着図書の棚で、タナハシ・コーツという著者の小説を見つけた。アメリカの小説ということで、 カズオ・イシグロが日系イギリス人であるように、日系のアメリカ人だと思った。しかも黒人だということで余計興味を惹いた。

 そればかりではないこのタナハシに対しての思い入れがあったのだ。それは私の母の旧姓がタナハシであり、その母の実家であるタナハシ家の敷地内 に1944年から50年までの6年間、私は疎開生活を送っていたからである。要するに私はタナハシの孫なのである。

 タナハシは日本では姓名の姓に相当するが、しかしこの書の表示においてはタナハシは名に相当するように書かれている。それにいささかの違和感をもったのだがそれもそのはず、このタナハシは日本語とは何の関わりもなくアフリカのある地方にある名前だとのことであった。

              

 こんな馬鹿げた 前置きはともかく、このタナハシ・コーツは私が知らないだけでアメリカでは評論やドキュメンタリー風の作品でとても有名な文筆家ということである。特に自分のルーツである黒人問題に 関する叙述では極めて高い評価を受けているとのことであった。だから私が目に止めたのは小説としては彼のはじめても作品だが、やはり黒人問題を主体としたものだった。

 その目次やあとがきなどをみて、やはり借りようと決意したのはちょうど昨年の春前後にアメリカの長編小説を2冊ほど読んでいて、それらのテーマと今回のタナハシの小説 『ウォーターダンサー』とが深い関わりを持つものであることを確信したからである。

 そしてそれは的中した。昨年読んだアメリカの黒人作家、コルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』と『ニッケルボーイズ』はどんぴしゃり、この『ウォーターダンサー』に呼応するのであると確信した。
 『地下鉄道』と『ニッケルボーイズ』については、昨年私が記した文章のURLを文末に貼り付けておくのでみていただきたいが、ここでは『ウォーターダンサー』について多少のネタバレも承知で(かといって後でそれを読む人の興を削がぬ程度に)述べてみよう。

         

 舞台は19世紀中盤のバージニア州の疲弊したタバコ農場で、ハイラムという若い奴隷が主人公。彼は奴隷主が女奴隷に産ませた子供である。にもかからずその母は彼が幼い頃、別の地域に売られれてしまう。 
 この農場は無計画な耕作によりすでに土地が痩せてしまって生産性が極めて低く、農園主たちはこれまでで保有 していた奴隷を売り払うことによってそのぜいたくな暮らしを維持しているというまさに退廃的な状況にある。

 主人公ハイラムは、やはり自分の子供を売られてしまった老女シーナを頼りにそのもとで暮らすが、やがて奴隷主の息子つまりその農場主の本妻(彼女はすでに死去している)との間にできた子供、メイナードの召使いとして働くことを命じられる。ようするに自分の異母兄にあたるのだが、その身分は使用者と奴隷ということで変わるところはない。

 ハイラムには、生まれつき、その見聞を余さず記憶するという特殊能力があり、それが兄の家庭教師である白人男性の目に止まり、親密な教育を受けることとなる。この家庭教師とはさらにまたまったく違うシュチエーションで出会うことになるだろう。

          

 前半はそうした彼の生活、老いてはいるが誇り高いシーナ、彼が思いを寄せる若き女性奴隷のソフィアなどが描かれる。ソフィアは白人の所有でもなく、かといって黒人の誰かの所有でもなく、個としての自分を貫こうとする近代的女性として登場する。

 さまざまな成り行きで、ハイラムとソフィアはその農園からの脱出を試みるが、しかし、無残にも賞金稼ぎの奴隷ハンターに捕獲されてしまう。
 そしてハイラムは別の所有者に買い取られる。

 後半はそれによって著しく変化をしたハイラムの環境が描かれるが、今度は黒人奴隷たちを救出する側に回っての活動である。それは南部の奴隷たちを北部へと逃亡させるために尽力する「地下鉄道」と呼ばれる秘密結社であり、ハイラムはその一員となる。

         
            赤い線が「地下列車」の工作員が利用した南部から北部への奴隷逃走ルート

 これは、コルソン・ホワイトヘッドの小説『地下鉄道』では、南から北へアメリカ大陸の地下を走る列車を描写してファンタスティックであったが、実際にはそんな路線はなく、ただ複数の逃亡ルートが用意され、その要所要所を白人・黒人たちの結社員が固めていたにすぎない。ただし、それらのルートの管理は、車掌、駅、駅長、乗客などなど、鉄道であるかのように組織されていた。

 主人公ハイラムは、子どもの頃からの特殊能力を磨き上げることによって、リアルな現実を超えた救出能力を身につけてゆく。それは「導引」と名付けられた特殊能力なのだが、これは西洋合理主義を超えたある種の超能力といっていいものである。

 詳細は小説をお読みいただくほかはないが、ある時はとてもリアルであり、また時にはロマンティックであり、またファンタジーに溢れていている瞬間もあって、400ページがアッという間に進む。

 ここに表出されたアメリカの暗部と、にもかかわらずそれと戦う強固な意志との混在、これが現代のアメリカ まで引き継がれるアメリカの明暗のありようを象徴している。
 
 世界資本主義の総本山。軍備大国として世界を睥睨するする警察国家としての面構え。征く先々で西洋合理主義的な価値観を押し付ける尊大さ。ついでながら、その尊大さに敗戦時の日本は右から左まで何の抵抗もなく屈服したのだった。それをよしとしてアメリかは、軍事力で制圧した国々に対し、日本で行った同じ手法に及んでいる。ヴェトナムで、アフガンで、イラクで・・・・。
 しかし、その試みは民衆の抵抗に合い、至るところで失敗している。日本のだらしなさが目立つ成り行きではある。

             

 とはいえ私は、ゴリゴリの反米主義者などではない。むしろ、アメリカにはある種の可能性をみている。この小説の「地下鉄道」が象徴するように、アメリカ的な悪には、それにアゲインストする運動が必ずといっていいほどついてまわる。
 南北戦争を経由し、さらには戦後の幾度かの運動の波によって、黒人差別は軽減されつつあるとはいえ、なおしぶとく残存している。

 2008年のオバマ大統領の実現は、感動的な出来事だった。19世紀にはまだ家畜扱いだった人種がトップにまで上り詰めたのだから。
 しかし、これはまた、反動をも呼び込むものだった。コアな共和党員はその法案の是非に関わらず、オバマの提案にはすべて反対し、その後登場した白人プアー層を支持基盤とするトランプは、「アメリカ」・ファーストを掲げたが、この「アメリカ」のなかには黒人を始めとする異民族が含まれることはなく、むしろ、排除、抑圧の対象であった。

 トランプは、国境を壁で閉ざすとともに内部の異民族、異人種への攻撃を強めた。黒人が容易に殺されるような事件もそんな中で起こり、今日のBlack Lives Matterにつながる問題が再度提起されざるをえなかった。

 この小説もその路線でのものであり、黒人問題に限らず、アメリカのプアーな層へのケアーも含まれていそうである。

 作者、タナハシ・コーツの父は、1960年代から70年代にかけて、黒人による解放闘争を呼びかけたブラックパンサー党のコアな党員であり活動家であった。
 また、タナハシ・コーツは、過去の大統領選では、バーニー・サンダース議員を支持している。

■以下に、昨年読んだコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』と『ニッケルボーイズ』についての感想文を掲げておく。

 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210322

 https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210513
 

コメント
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