これは本来は「同じ志をもって学ぶ人の出会い」という意味で、私などが使う意味よりも実際には限定された状況だという。でも、そんなことはいいのだ。
ここ何年も、同じ人脈を共有するせいでしばしば出会いながら、話を交わさなかった友人から電話があり、わざわざ名古屋から逢いに来てくれるという。
岐阜駅前のバスターミナル内のコブシの花
さっそく出迎え、私自身久しぶりの長良河畔などを散策し、カフェで話し合う。互いの近況などを交わし合うのみで、これといった用件があったわけではない。もっとも、友人の方は一つの節目に差し掛かっていて、いろいろ考えるところがあるようだが。
もちろん、なにかの結論や約束ができるような出会いではなかったが、それがいいのだ。これといった用件がないのに、そんな時間が面倒ではないどころかどこか居心地がいい。そんな再会であった。
水田さん遺品の絵葉書
帰宅したら、先般、一〇三歳で亡くなられた水田洋さんの娘さんからはがきが届いていた。水田さんとは、相互に同人誌を送り合う仲だったが、亡くなられたことを知ったあとも、「ご霊前に」とお送りしたことに対しての返礼であった。
それも、水田さんが最後に訪英された折に求めていらっしゃった列車の絵葉書で、その路線にお乗りになったものだとのこと。
ローマ時代の水道橋のような高い橋梁の上、霧にまとわりつかれながら疾走する列車の幻想的な映像。ちょっとだけ鉄ちゃんの私には嬉しいものだった。
温かい花曇りの一日だったが、私には心温まる一日だった。