養老鉄道はかつての近鉄の揖斐線と養老線を近鉄から引き継いだいわゆる三セク鉄道で、JR大垣駅を起点としている。以前に紹介した樽見鉄道(この前身は国鉄=JR)もこの大垣を起点としているから、大垣では二つの三セクに接することができる。
養老鉄道に戻ろう。この鉄道は養老線と揖斐線の二つからなるが、起点の大垣ではそれぞれが一つのホームから出発する。一番線は養老方面の三重県の桑名行、二番線が同じ岐阜県内の揖斐行である。
この電車たち、ここですれ違うのではなく、それぞれ同じ西方面へ1kmほど並走し、そこで桑名方面は南へ、揖斐方面は北へ進路を取るべく分離する。
そこでどういう現象が起きるかというと、もし、同時刻に大垣を発車した二方向行きの電車があったとしたら、そしてそれを分岐点で目撃できたら、同じ方向から並走してきた電車が左右に分かれてゆく珍しい光景を目にできるということだ。
では、大垣を同時刻に発車する電車があるかというと、それがあるのだ。私が現行の時刻表で調べた限りでは、17時7分発、21時9分発、21時53分発の3本だ。これは発車時間だから、分岐点へはその一分後ぐらいに差し掛かることとなる。
残念ながらこの時期、全てが日が落ちてからの時刻で、夜汽車になってしまうが、日の長い時期なら17時7分発なら昼間の写真となるだろう。
ただし、これを写真に収めたものを例の鉄道写真家中井精也氏のもので見たことがあるが、説明がないと、上下の列車がすれ違っただけに見えてしまうので、動画のほうが迫力があるかもしれない。
半端な鉄チャンなので、つい余分な話をしてしまったが、本題に戻ろう。
近所のサークルの人たちとともに、この養老鉄道の揖斐線の旅をしたのだ。ちょうど土曜日だったので、土日限定1,000円で乗り放題を利用しての旅だ。
この沿線、観光地や見どころがないわけではないのだが、そのほとんどが駅から歩くにはちょっと距離があり、結果としてそれぞれ降車した駅付近の風景を観るにとどまった。
養老鉄道に戻ろう。この鉄道は養老線と揖斐線の二つからなるが、起点の大垣ではそれぞれが一つのホームから出発する。一番線は養老方面の三重県の桑名行、二番線が同じ岐阜県内の揖斐行である。
この電車たち、ここですれ違うのではなく、それぞれ同じ西方面へ1kmほど並走し、そこで桑名方面は南へ、揖斐方面は北へ進路を取るべく分離する。
そこでどういう現象が起きるかというと、もし、同時刻に大垣を発車した二方向行きの電車があったとしたら、そしてそれを分岐点で目撃できたら、同じ方向から並走してきた電車が左右に分かれてゆく珍しい光景を目にできるということだ。
では、大垣を同時刻に発車する電車があるかというと、それがあるのだ。私が現行の時刻表で調べた限りでは、17時7分発、21時9分発、21時53分発の3本だ。これは発車時間だから、分岐点へはその一分後ぐらいに差し掛かることとなる。
残念ながらこの時期、全てが日が落ちてからの時刻で、夜汽車になってしまうが、日の長い時期なら17時7分発なら昼間の写真となるだろう。
ただし、これを写真に収めたものを例の鉄道写真家中井精也氏のもので見たことがあるが、説明がないと、上下の列車がすれ違っただけに見えてしまうので、動画のほうが迫力があるかもしれない。
半端な鉄チャンなので、つい余分な話をしてしまったが、本題に戻ろう。
近所のサークルの人たちとともに、この養老鉄道の揖斐線の旅をしたのだ。ちょうど土曜日だったので、土日限定1,000円で乗り放題を利用しての旅だ。
この沿線、観光地や見どころがないわけではないのだが、そのほとんどが駅から歩くにはちょっと距離があり、結果としてそれぞれ降車した駅付近の風景を観るにとどまった。
まず降り立ったのは東赤坂。ここは旧中山道赤坂宿の文字通り東なのだが、そこまでは遠く、駅近くの神社や近くの集落を回ったのみだった。
続いて降り立ったのは池野駅。ここは池田町の中心で、かつては中山道から分岐し、西国三三ヶ所巡りの納札所の谷汲山華厳寺に至る谷汲街道の要所としてして栄えたところである。街中の旧街道沿いを歩くと、なんとなくその名残りは感じられるが、残念ながら幾分さびれた街並みというほかはない。
西方にそびえる池田山、そこから飛び立ち浮遊しているハングライダーの数々が時代の変遷を物語る。私のカメラではそれらのハングライダーをはっきり捉えることはできない。
中央上部の白いのは飛んでいるハングライダー
終点、揖斐へと至る。
この頃から、腰痛が激しくなる。一行はさらに歩き続けるが、私は駅から一〇分ぐらいの粕川(揖斐川の支流)辺りでダウン。
この粕川、かつてはアマゴやイワナ釣りによく訪れた川だ。とても懐かしい。ただし、竿を落としたのはこの辺ではない。さらに上流(西方)へどんどん進み、もう滋賀県に近い源流域まで行ったものだ。
はじめの頃はよく釣れたが、情報誌に書かれるに及んで釣り人が殺到し、釣果は期待できなくなった。
そんな想い出を反芻しながら揖斐駅へと戻る。そこで一行の帰りを待ち、大垣経由で岐阜へ帰った。
後半の腰痛によるダウンは口惜しいが、それがいまの私の現状だから致し方あるまい。それでも歩行数は1万5千を超えていた。
どこかへ行って歩き回る、それが可能な時期をできる限り引き伸ばしたいと真剣に考えているが、83歳の老人にはもう手遅れなのだろうか。