六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

初詣 猫の喧嘩とお年玉(私の元旦)

2011-01-02 03:13:21 | 写真とおしゃべり
 オイオイ、元旦早々喧嘩なんかするなよ。

 といっても、南北朝鮮だとかそんなややっこしい話ではない。

 起き出して窓を開けたら雪の白さがまぶしい。
 空も鉛色だしもっと降るのかなと寒がりやの私は警戒モード。
 しかし、陽が高くなり陽射しも強まるとみるみる溶け始めた。

     

 お屠蘇と雑煮をいただき年賀状などのチェック。
 出し忘れや意外な人からのものがあり、慌てて書き始める。
 で、それを出しに行く。

 雪は解けたが寒い。
 寒いから早く帰ろうと思わずにせっかく出てきたのだからついでにどっかへと思うのはやはり貧乏性なのか。
 どっかといってもそんなところはありはしない。
 結局は近くの鎮守様へお参りに。

     

       

     

 別に神道の信者でも信心深くもない。昔、私も元気で「寿限無」という飼い犬がいた頃は、除夜の鐘を聞きながら一緒に散歩かたがた近くの集落のお宮を三軒(飲み屋ではあるまいに三軒はないよな)はしごで初詣をしたこともある。
 このときも、お参りというより、振る舞われる暖かい甘酒目当てだったといっても良い。

 そんなことを思い出しながら近くの「比奈守神社」というところへいった。
 人影はまばらというか私と入れ違いに一人の男性が帰ってあとは静寂そのものだ。
 ゆっくり写真など撮って、横っ側から入ったので帰りはちゃんと参道をと歩を進めたら、なにやら異様なうなり声がする。

     

 見ると二匹の猫が顔をつきあわせるようにしてお互いに威嚇し合っている。
 喧嘩だ。餌の取り合いでもなさそうだし、雌を争っているわけでもなさそうだ。
 もちろん金銭トラブルでもないし、なんだかさっぱり分からない。

 いろいろ体勢を変えて睨み合っていたが、フギャァという鳴き声と同時についに壮絶なとっくみあいが始まった。私が見ていようがなんのその、むしろ取っ組み合ったまま私の足元付近まで来る有様。
 じじい、邪魔だ、退け退けといわんばかりの勢いである。

 あいにく猫の喧嘩の仲裁の仕方は知らない。
 「まあまあ、お互いよく話し合って・・・」などといっても仕方あるまい。
 ましてやそれがイデオロギー上の対立であったりしたら・・・。
 え?猫にはそんなものはない? あ、そう。
 じゃぁ、「正月早々喧嘩なんか・・・」といったって「正月なんて人間が勝手に作ったものだろう」といわれるのが関の山だ。

     
 
 で、どうなったかというと、そこへ夫婦と子ども三人合計5人連れの家族が登場した。
 男の子が、「あ、猫が喧嘩してる」と大きな声で言った。
 どれどれと家族が近寄る気配にやっと猫は駆け出しどこかへ消えた。

 ということは何かい?私一人の時は、こんなじじいの一人ぐらい居たってと平気だったというわけかい?
 そりゃぁ、いくら何でも老人蔑視ではないかい?
 そんなんだから、正月早々喧嘩口論(?)なんかするんじゃないかい?
 なんて、猫に徳目を訴えても仕方ないか。

 と、いうわけでうちへ帰ったがやはり寒い。
 そしたらそこへ、ネット上でのお知り合いの女性から素敵なお年玉が届いた。
 いくつになってもお年玉は嬉しいものだ。

     
 
 一つの箱にいろいろ入れていただいたのだが、そのうちいちばん可愛いものを紹介しよう。
 牛の角で作られたフクロウのストラップである。「牛の角」と書かれた楕円のカードの裏には「幸福を呼ぶ」と書かれている。
 これでもう、私の今年一年の幸せは保障されたようなものだ。
 この前日記に書いた「ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ」というヘーゲルの言葉を思い出した。
 私は黄昏には飛び立てず、真夜中におずおずと巣を離れる臆病なフクロウに過ぎないが、このお守りはそうした私に勇気を呉れる。

 Aさん、ありがとうございました。
 今年の冒頭を飾るとても嬉しいお年玉でした。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする