歳をとると時間の経過が早い。もう師走だ。
その師走の12月1日付、「朝日」の夕刊(名古屋版)に懐かしい記事を見つけた。その見出しはこうだ。「青春の味 購買パンの市販」。この記事のキーワードは〈購買パン〉にある。これは高校や大学などで昼食用に限定して販売されるパンの販売のことで、学校と契約をしたパン屋が、出店のように学校の一隅でいろんなパンを販売する。
そのシステムそのものが懐かしいが、しかも、その記事の舞台は私が住まいする岐阜なのだ。
この記事に登場する〈武蔵屋パン〉はそうした〈購買パン〉の専門店で、これまで自分の店舗での販売は一切行ってこなかったという。それはそうだろう、最盛時には岐阜市内17校の学校での販売を行っていたというから、それだけでじゅうぶん忙しかったはずだ。
ところで、上の記事は、その〈武蔵屋パン〉がそうした伝統を破り、自社工場前でパンを一般販売し始めたという内容である。その理由はお察しの通り、このコロナ禍での休校などが相次ぎ、〈購買パン〉の売上が減少したことによる。そこで売上の減少を補うため工場前での屋台販売をはじめたというのだ。
これはまさに窮余の一策だが、しかし、それを知った今はすっかり大人になった往年の学生たちが、市内はもちろん、市外からも車を飛ばしてまで買いにくる人気なのだという。
この記事と私がどう関わるかというと、遡ること65年以上前、私もまたこの〈武蔵屋パン〉の〈購買パン〉を食していたのだ。そう、この〈武蔵屋パン〉は70年前から〈購買パン〉の専門店として頑張ってきて、私の食事情にも関わっていたのだ。
正確にいうと、68年前、県立岐阜商業高校の門を叩いてからの三年間、私は〈武蔵屋パン〉の〈購買パン〉のお世話になってきた。毎日ではない。弁当のある日を除いた日なのだがその割合がどのくらいであったのかは忘れた。弁当の日の方が多かったとは思う。なかには、昼前に早弁を食ってしまって昼にはパンをという猛者もいたが、私はそこまではしなかった。
当時のパンは今の菓子パンに類するものは少なかったが、それでも普通の食パンやコッペパンの他に、揚げパンとかカレーパンなどが人気だったような気がする。揚げパンは、なんとなくカロリーが多そうで、よく食べた(カロリーが少ない方を選択する時代ではなかった)。
だから、上の記事はとても懐かしい。私も行ってみたい気がするのだが、家から4キロほど離れていることから、いい歳をしてわざわざという気もする。
上の記事は美談風にまとめられているが、必ずしもそうとはいえない事実もあった。それは万引である。隙を伺って盗ってしまうというのは私も目撃してるし、けっこうあったと思う。販売担当者は、それを防止しながら、昼休みのいっときに集中する学生たちに対応しなければならなかったのだから、大変だったと思う。
誓っていうが、私はしたことがない。え?あいつが、と思うようなのが素早く手を伸ばすのは目撃したことはある。まあ〈武蔵屋パン〉の方もそれを計算した上で価格を設定していたのだろうが。
ただうっすらとした記憶のなかでは、生徒会の役員をしている折、万引が増えたと〈武蔵屋パン〉の方からの申し入れがあり、「万引は止めましょう」という決議をしたような気もする。その決議がどれほどの効果をもたらしたのかはよくわからないが・・・・。
それもこれも含めて、〈武蔵屋パン〉の〈購買パン〉はまさにわが「青春の味」であった。青雲之志を抱きながら、パンを齧っていた70年近く前のあの少年・・・・、彼はどこへ行ってしまったのか。