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探して見つけたというより、たまたま目にした資料で、面白いことを発見しました。
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我々、灘からの下り酒を扱ってきた酒問屋などでの慣用句というか、お決まりのネタとして、
江戸では、上方から下ってくる『下り酒』が最上のものとして諸大名などの宴席では重用されてきた
下ってくるものではない関東の酒などは「くだらないもの」とされていて、これが「くだらない」=「冴えない」の語源である
というのがあります。
では、そんな江戸の宴席で、下り酒を飲んでいた徳利や盃などはどこからきていたのでしょうか?
茶の湯の流れからすると、先週ご紹介したような一楽二萩、三唐津などでしょうが、楽の猪口とかあまり見たことないし、実際に宴席で使うものですからコストも含め実用性が重視されるでしょうし。
冒頭の「面白いことを発見」というのは、そんな江戸時代の江戸への輸入(移入)品のリスト。
焼き物類の移入総量が305,533俵(ってどのくらいなんでしょう?)なのですが、その内訳は。
尾州様御国産(瀬戸焼・美濃焼)が132,208俵 ←43.2%
紀伊様御蔵入御国産(男山焼) 45,117俵 ←14.8%
信楽焼(信楽焼) 25,042俵 ←8.2%
松平肥前守様御国産(唐津焼・有田焼) 24,794俵 ←8.1%
常滑井細工物(常滑焼) 23,500俵 ←7.7%
京都焼(京都焼) 23,165俵 ←7.6%
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などとなっています。
瀬戸・美濃が圧倒的に多いですね。
また、それに次ぐのは紀州男山焼、今はそんなに見ませんね(ググってみた)。
これ
(南紀男山焼 染付琴浦戯鴎図大皿/文化遺産オンラインより)
そして、上位を占めるのは全て瀬戸より西で、関東以北のものはありません。
それより下位には、波佐見焼や相馬焼、小石原焼などありますが、関東以北のものは相馬焼のみで、割合も1.5%くらい。
距離的には近いはずの益子焼とか笠間焼とかは出てこない。
やはり西高東低というか、「下り酒は下りもので飲まれていた」というイメージかなぁ。
そうすると、、、、やはり「下り茶碗問屋」みたい人達がいたのでしょうか?
面白い研究テーマです。春休みに考えてみようっと。
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