昨日は5時前に社長を繁華街に送って行った。
大きな通りは自信を持って運転できるんだけど、センターラインが無いような道は相変わらず苦手で、ましてや人通りがあると、もはや歩いている方が早いのでは?!と思うほどのノロマ運転だ。それはいつまで経っても変わらない。
「もっと細い道を練習しなきゃね」と(Aさんに)言われたこともあるけど、私将来、運転で稼ぐことなんてあるのだろうか。でも練習は必要なのかな、それでも苦手なんだよね。
少しでも早く行きたくて、黄色信号を無理に通り過ぎようとしたら、右折待ちのパトカーにクラクションを鳴らされて「お前、度強あるな」と社長に笑われた。
会社に戻ると、秀クンが1人戻って来て社長は?と言うから「飲みに行ったみたい」と言うと、「sakeさんも帰ったのかと思った」と言う。「高速でnanuさんとAさんの車に偶然会ったけど、もう帰っちゃったのかな。」と言うので、「それは絶対無いと思いますよ。」と言うと、「じゃ社長に呼ばれたのかな?」と言うので、「それも違うと思いますよ。」と私は言う。
相変わらず秀クンはお金が無いと言う話をして「うちは食費も3万だ」と言うので「うちも二人でそれぐらいですよ、でも赤ちゃんはいないけど」と言うと、ミルク代も高いんだ、1缶で2000円が3時間おきに作ってすぐになくなっちゃうんだよ、と言うので、「でも今は子供手当があるでしょう」と言うと、「それは学資保険に払ってる。この先々もっとお金掛かるでしょ」と言う。
私もたしかに、kekeが小さい頃はこの先どうなるかとっても不安だったっけ。
そして、たまに両親が遊びに来てくれて、普段ちょっと買わないような肉や食材を一緒に買って、けんちん汁を作ったりして、帰って行った。
「私は今になると、あの頃が一番楽しかったです。親も元気で、子供も可愛かったですよ。。」とつぶやいた。
秀クンは「あぁ」とそれから何も言わなくなった。
たぶん、今この時も、あと10年したら「あの頃は楽しかった」と言うのだろう。
きっとそうにちがいない。
kekeが一緒にいてくれて、仕事も忙しくて、それから、・・・楽しかったと言うのだろう。
Aさんの検査も無事に終わり、「よかったですね」と言った。
病気が再発する可能性は3年以内が一番高いんだ、と言う。
だから先生も喜んでいた、でも医者だからね、最後に「絶対ではないですが」って言うんだよと笑って、何回やっても病院の検査はドキドキするとも言った。
それからあの時はもうよく分からなかった、あんな(大事な)ことなのに他人事のようで自分のことじゃなかったみたいだ、人間ってきっと辛いことは脳が回避するようにできているんじゃないかな、って言った。
こんなことも笑って話せるようになってよかったと思う。
私もその時になってみないと分からないけど、「他人事のようだ」と言う感覚だけは分かるような気がした。
たぶん、私もそんな感じではないかと思う。
あまりに未知で未知過ぎて、きっと分からないだろう。
むしろその時誰もいないんじゃないかなってことの方が怖いぐらいだ。
(でもきっと平気だと思う、いざとなったらば)
まだkekeを養って行かなきゃならないから生きているけど、それが無くなったら何を考えるんだろう。
今思い出すのは、楽しかったこと。
たぶん、これからも、この先も。
大きな通りは自信を持って運転できるんだけど、センターラインが無いような道は相変わらず苦手で、ましてや人通りがあると、もはや歩いている方が早いのでは?!と思うほどのノロマ運転だ。それはいつまで経っても変わらない。
「もっと細い道を練習しなきゃね」と(Aさんに)言われたこともあるけど、私将来、運転で稼ぐことなんてあるのだろうか。でも練習は必要なのかな、それでも苦手なんだよね。
少しでも早く行きたくて、黄色信号を無理に通り過ぎようとしたら、右折待ちのパトカーにクラクションを鳴らされて「お前、度強あるな」と社長に笑われた。
会社に戻ると、秀クンが1人戻って来て社長は?と言うから「飲みに行ったみたい」と言うと、「sakeさんも帰ったのかと思った」と言う。「高速でnanuさんとAさんの車に偶然会ったけど、もう帰っちゃったのかな。」と言うので、「それは絶対無いと思いますよ。」と言うと、「じゃ社長に呼ばれたのかな?」と言うので、「それも違うと思いますよ。」と私は言う。
相変わらず秀クンはお金が無いと言う話をして「うちは食費も3万だ」と言うので「うちも二人でそれぐらいですよ、でも赤ちゃんはいないけど」と言うと、ミルク代も高いんだ、1缶で2000円が3時間おきに作ってすぐになくなっちゃうんだよ、と言うので、「でも今は子供手当があるでしょう」と言うと、「それは学資保険に払ってる。この先々もっとお金掛かるでしょ」と言う。
私もたしかに、kekeが小さい頃はこの先どうなるかとっても不安だったっけ。
そして、たまに両親が遊びに来てくれて、普段ちょっと買わないような肉や食材を一緒に買って、けんちん汁を作ったりして、帰って行った。
「私は今になると、あの頃が一番楽しかったです。親も元気で、子供も可愛かったですよ。。」とつぶやいた。
秀クンは「あぁ」とそれから何も言わなくなった。
たぶん、今この時も、あと10年したら「あの頃は楽しかった」と言うのだろう。
きっとそうにちがいない。
kekeが一緒にいてくれて、仕事も忙しくて、それから、・・・楽しかったと言うのだろう。
Aさんの検査も無事に終わり、「よかったですね」と言った。
病気が再発する可能性は3年以内が一番高いんだ、と言う。
だから先生も喜んでいた、でも医者だからね、最後に「絶対ではないですが」って言うんだよと笑って、何回やっても病院の検査はドキドキするとも言った。
それからあの時はもうよく分からなかった、あんな(大事な)ことなのに他人事のようで自分のことじゃなかったみたいだ、人間ってきっと辛いことは脳が回避するようにできているんじゃないかな、って言った。
こんなことも笑って話せるようになってよかったと思う。
私もその時になってみないと分からないけど、「他人事のようだ」と言う感覚だけは分かるような気がした。
たぶん、私もそんな感じではないかと思う。
あまりに未知で未知過ぎて、きっと分からないだろう。
むしろその時誰もいないんじゃないかなってことの方が怖いぐらいだ。
(でもきっと平気だと思う、いざとなったらば)
まだkekeを養って行かなきゃならないから生きているけど、それが無くなったら何を考えるんだろう。
今思い出すのは、楽しかったこと。
たぶん、これからも、この先も。
子どもが小さい頃、母が来ては普段買えない果物や食材を買ってくれるのが嬉しかったこと。
夫の会社が倒産して離婚することになった時、他人事のような妙な気持ちだったこと。
癌になって先が長くないと思った時、子どもの事や生活の事をもう心配しなくていいんだとホッとした事。
>(でもきっと平気だと思う、いざとなったらば)
sakeさんって、おとなしくて控えめな印象なんですけど、反面とても強いなって、ブログの端ばしで思います。
みよさんのコメントを読んで病気になっても「子どもの事や生活の事をもう心配しなくていいんだ」と思えることに気が付きました。
だんだん年を取って、淋しいことや悲しいことが増えるばかりのような気がしますが(ちょっと弱音吐いちゃいます)、それは病気になった時に動じない訓練なのかもしれませんね。なんかそんな気がしてきましたよ。
本当に母のことは今になって思い出します。
両親のしてくれたこと。楽しかったこと。
>(でもきっと平気だと思う、いざとなったらば)
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今、淋しいだろうな、淋しいだろうなって想像しておくと、そうなっても「何だ、こんなもんか」って思えるような気がして、練習してるんですよ。だからいざとなっても平気かなぁなんて。