きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

今日の料理6(煮卵ほか)

2008-10-19 | ぶきっちょさんの家事一般
今日は家で料理三昧の一日。

写真は高山なおみさんの『煮卵』。
 本当は中が半熟になるはずが、すぐに冷やさなかったのでゆで卵になってしまう。 でも、おいしい。。
 煮汁はまだ2~3回繰り返し使えるそうだ。


鶏肉とかぶのこっくり煮。(これも高山さんレシピ)
薄味でコトコト煮ていく。このあと朝ゆでたほうれん草と柚子コショウを乗せた。

それから昼間はパンを焼いた。
 HBで食パンを焼いても包丁でつぶれてうまく切れないから、最近はくバターロールにしてる。発酵させるのはオーブンに入れるから、丸める手間だけだ。 多めに作って冷凍して、何もない時弁当がわりに持っていく。


それから、スーパーで小あじが半額で売ってたので、南蛮酢漬け。
 12匹で100円しない。骨まで食べられる。
 その向こうはレタスクラブのレシピ。カジキとナスとしめじの炒め物。
 砂糖、醤油、酢、を1:1:1で混ぜたもので味付け。
それからカレー用にたまねぎを炒めた。ちょこちょこ火を入れていたらアメ色になったので、肉を買って、煮込み始めている。

 お昼はみそラーメンをkekeと食べた。
 冷蔵庫にあった市販の焼き豚、ゆでたほうれん草、冷凍してあった余りもんのコーン、ネギを刻んだもの、海苔を乗せる。  
 

さすがに今日は料理疲れ。
明日は台所に立つのはさぼってしまおう。

妄想でアパート探し

2008-10-18 | 息子keke
今日は土曜で、事務所もヒマだった。。
私はまた「きのこの山」を食べながら、kekeが行くかもしれない大学のHPを見てみた。

そうっかぁ~・・・kekeはここで勉強するのかぁ。。。(^^)

楽しみだなぁ。
これからもっとたくさんの友達ができて、バイトとかもして、勉強して、就職するんだ。
まるで自分の未来のようにうれしくなった。

そう言えばkekeはひとり暮らしがしたいって言ってたなぁ・・・・。
それから近辺の地図やアパート情報も見てみた。
もちろん、家から通ってくれれば毎日顔も見れるし安心だけど、どうだろう。

妹は「ちょうどいいんじゃない?」と言っていた。

「1人で暮らせば、今までどれだけやってもらってたかが分かるようになるよ。そうすればお母さんを大切に思うようになると思うよ~」
「そういう部屋探しは親がついていかなくていいのかねぇ。」
「本人が言ってきたら考えればいいんじゃないの?」
「そうだね。ひとり暮らしは心配だし、なるべくこっちからは話題をふらないようにしよう。」

と、言いながらも気になって調べてしまう母だった。

そして地図を見て、ここらは家賃が安いけど、スーパーが近くにないから不便だから、こっちの駅の近くがいいのではないか?でも、やはり家賃は高くなってしまうなとか、いろいろと考えてしまうのだった。
そう言う場合に物件を見定めるコツはあるのだろうか、今度H田さんに教えてもらおう、と思った。
 
こう言う余計なお世話をkekeは「ストーカー行為!」と激しく批難するので、もうこれは口に出さずに心に秘めておかねばならない。でも、妄想はどんどんエスカレートしていくのだった。。。

こう言う場合、親御さんは月に何回くらい息子のアパートを訪ねにいくものなのだろうか。
土日休みならともかく、週に一度の休みを往復4時間掛けて毎週通うエネルギーが私にあるのだろうか。でも、kekeからこっちに帰ってくるかしら。今まで当たり前に毎日会っていたものが、会えなくなったら悲しくならないかしら。
 
でも、kekeの将来を考えるととても楽しくなってきて、そんな事や、でも、ちゃんと勉強についていけるのか心配になったりする。
いつだかニュースで、最近では大学の成績が親に送られてくるそうで、ニュース番組では「過保護ですねぇ」と呆れていたが、今の私は当然のことだと思う。もしも学校にいけなくなっていたら、会社を休んでもどうにかしなきゃ!と思うからだ。
 
そんな私の切羽詰り具合も、ストーカーと化しているのだろうか。


そう言えばAさんから聞いた話だと、社長はまだ就職が決まらない長男さんを卒業したら家から追い出すつもりらしい。そうしないと真剣に就職に向き合わないのではないか?と思っておられるのだろうか。
私だったら、たぶん、そんな事できない。
でも、そうなったら、やらねばならないんだろう。
 
あの子は本当に口だけじゃなくて、ちゃんと自立できるのかしら。
仕事で体を壊したりしないかなぁ。
 
今までは離婚したり会社の連中とバラバラになったり、いい事より悪いことばかり起きてたような気がしたから、それが当たり前だったから、うまく行った後に必ず落とし穴が待っているような気がしてしまう。

でも、どうかこの先kekeだけでも順調に行きますように。
落とし穴なんてkekeにはありませんように。

コワイ話

2008-10-18 | 息子keke
昨日、暗い夜道を自転車で帰宅中の話だ。

私は橋を渡りきった先で信号待ちをしていた。
すると、「すみません・・・すみません」と後ろから風のように流れる声がした。

は?と後ろを振り向く。
ところが誰もいない。

気のせいか・・ずいぶんリアルな空耳だなと思いながら、信号が変わるのを再び待っていると、また「すみません・・」と若い男の人の声がする。
私は声の方向を振り向いて、ギョッとした。

橋の下から若い男の人が顔だけ出しているのである。
そして私に向かって「ヤスコ(仮名)さんですか」「アライ(仮名)さんですか」と次々にいろんな名前で尋ねてくるのである。
私はゾクッとして、ちがいますと言うと、信号が変わったのを見計らって急いで自転車を飛ばした。。。。

書くとたったこれだけの事だが、夜道でこれは怖かった。。。。彼は悪気ではなく病気なだけかもしれないが、それでもこっちはショックだった。。。。
 

そして今日は、nanuさんが事務所の入り口で「ギャア」と言って、トカゲだ、と言いながら入ってきた。
nanuさんは隣で何が1人でしゃべっていることが多い。これは私に相槌を入れてほしいのか、それとも独り言なのか判断が難しい。前は7割か8割くらい返事をしていたのだがすると「独り言だよ」と言われるので、最近は聞こえてきてても返事をしない方が多くなった。

その後、社長と工事部長が打ち合わせに出かけてしまい、私は午後に1人で「きのこの山」を食べながら、くつろぎタイムと化していた。
すると、なんと!トカゲが壁を這いつくばっていたのである。その時、私はさっきnanuさんがとかげだと言っていたのを思い出した。そして、誰かが居たうちにもっとそれを重要視するべきだと思った。今は私1人だ、どうする事もできない。

トカゲはどんどん上に向かって這っていった。
そして天井辺りまで行くと、今度は下に下りてきた。
そして右に行ったり、また左に戻ってきたりしながら、だんだん下に下がってきた。

体調は頭からシッポまで18cmくらいだと思う。(私が丁度手を広げたくらいの幅だから)
今度は床に這いつくばる。床での動きは早い。しかもジュウタンがいい保護色になって見難い。

私は目を離さず、とかげを遠巻きに見つめた。
一番怖いのは、目を離してしまって急にトカゲが足もとにいた、と言うパターン。
となると、やっぱり目は離せなかった。。あと30分我慢すれば帰れる・・・それまでの辛抱だ。
「こんな時、秀クンが帰ってきてくれたら・・」と願ったが、誰もこなかった。
 
そのうち遠巻きながらもトカゲの姿に慣れてきて、どうにかどこかに閉じ込められないかと考え始めた。そうだ、ゴミ箱を上からかぶせたらどうだろう?そして、ゴミ箱を持ってトカゲの上からかぶせようとしたら・・・トカゲはここ一番の速さで走り去り、プリンターや箱がある陰に隠れてしまった。
それが私の席の背中辺りなのである。最悪である。
 
それから何度も何度も後ろを振り返ったが、トカゲは姿を見せなかった。
そして5時になった。私は帰ることにした。

明日も仕事どころではないだろう。ふと足もとや背中にトカゲが居たら・・・と想像するだけで怖い。どうか、明日誰かがその前に捕まえて捨ててくれる事を願う。

仕事はやったもん勝ち

2008-10-17 | 父の記録と母の思い出
妹の話によると、父は今週2回粗相をしているそうだ。
一度は玄関で。もう一度はリビングからトイレまで転々と尿が落ちていたという。

「それからこの前はたぶんトイレットペーパーが切れたんだろうね。。。台所でお尻を拭いていたんだよ・・・・。」
「トイレットペーパーの替えが分からないんだね。。。」(見えないのかもしれない)

それからこの前は町内会の仕事があって帰りが6時半頃になってしまうから、ミー(上の娘)に父を預けて出かけたのだそうだ。そして帰ってくるとミーがシクシク泣いているので訳を聞くと、こうだった。

「ピアノの練習をしようとしたらおじいちゃんがもう寝ると言うので、『これからママが帰ってきてからご飯だからまだ寝ちゃだめだよ』(夜はぐっすり寝れるようにしないとまた徘徊してしまうかもしれないので、孫は父をこう注意したらしい)と言ったら、今度はおじいちゃんが外に出かけようとするから『もう暗くなるから、おじいちゃん出かけちゃだめだよ』と言うと、おじいちゃんは『それじゃ、もう首を吊るしかないね』と言ったの。」

「・・・・・」
「私だって、そんな事言われたらいい気はしないよね?それを小学生の孫に言うんだよ。。」

そんなこんな津々浦々で、妹はケアマネさんと相談して特養を申し込んでみる事にしたのだそうだ。それで申込書を記入していったのだが、その用紙にはチェック項目と言うのがあるらしい。

・本人(父)が現在1人暮らしである
・(同居している家族が)仕事を持っている(がために介護ができない)
・(同居している家族が)病気である(がために介護ができない)
・(同居している家族に)未就学の子供がいる(がために介護ができない)
          :

「それでね、そのチャック項目が一つも該当しなかったの。。。。ケアマネさんも『一つもないんですね』って言うんだよ。」

そのチャック項目が幾つつくかで「施設に入る緊急度」が判断されるらしい。

「うちなんていつになるか分からないよ。。ケアマネさんも一つもないですね、って言うんだもん。緊急かどうかは本人に対してであって、家族は関係ないんだよ。今のじいさんを抱えて仕事があったって辞めてるよ。ギリギリまで自分の手で面倒をみるより、(さっさと見切りをつけて)預ける方が優先されるの。」
「・・・う~ん。(ーー;)」
「ケアマネさんも同情してくれたけどね。」
「う~ん。。。。」
「学校の役員も町内会の用事もね。仕事がある人は『できません』って言えるのに。」
「それを言われると私も何も言えないよ。。。」
「お姉ちゃんは事情もあるんだから。そうじゃなさそうな人もいるのよ。お金にもならないボランティアみたいな事ばかりしててこんな事があると、それほど仕事をするのが偉いのか、って思っちゃうのよ。」
「私も、kekeが幼稚園の時に『仕事もしてなくて下に子供がいないから』って理由だけで電話が掛かってきて役員させられた事があったっけ。」
「そうでしょ~?」
「その時はそう思ったよ。。」

妹はそれでも「バカバカしいと思ったり、かわいそうな気もしたり」するのだそうだ。

今日、どこかのネットニュースで見た事には「酒を飲む量に応じて脳が萎縮をする」そうだ。ほとんど飲まない人は萎縮率も低く、大酒飲みは一番萎縮率が高い。

私はこのままでいいのだろうか。
もしかしたら、今冷蔵庫に入っている分で、もう酒を買うのは止めようか。

70%ぐらいまでそう思いつつ、残り30%ぐらい踏ん切りがつかない。ビールを辞めたら、夕飯も作る気力がなくなるかもしれない。

でも、やっぱりギリギリまで元気ではっきりしていたい、いなくては!と切に思う。

おにぎり弁当

2008-10-16 | 息子keke
kekeが怒った。
たぶん、こんなに怒ったのは生まれて初めてだと思う。
弁当が染み出して、プリントが全部汚れたと言う。

「そんなに言うなら先生に謝ってあげるわよ。」
「これが一枚しかない大学の書類だったらどうするんだよ!!」
「これから気をつけるよ。。。」
「前にもそう言ったのに!」

と言う訳で、しばらくはおにぎりしか作らない事になった。
私の事は二度と信用しないのだそうだ。
おにぎりも「高菜のおにぎりの汁が原因ではないか?」とkekeは疑ったが、毎日昼食代400円渡していたら20日で8千円にもなってしまう。それはやはり現実的ではないのでおにぎりは持って行ってもらおうと思う。

毎日「もう生きていくのがイヤだ」と言う割りに、大学の受験書類で怒り狂うkeke。
本当はアンタは大学も行きたいし、未来も夢があるんではないかい?

まあ、染み出したのが今日でよかった。。。。


おにぎりと言えば、前の前の会社で定年過ぎたじいさんが再雇用で雇われていた。
最初は総務を取りまとめる・・と言う任務だったそうなのだが、動きが鈍く(20代30代がほとんどのあの会社でその年で働き始めるのに既にムリもあったのかもしれない)、どんどん期待は落ちていき、私が入社した頃は、朝は掃除、午後はセンパイの事務員さんに雑用を言いつけられるか読書、の程度にまで落ちていた。

そして、センパイの事務員さんは私に仕事を引き継いで辞めていったわけなのだが、私は曲がりにも目上であり入社も早いこのじいさんに雑用を言いつけるようなキャラではなかったので、それなりに仲良くしていた。
(でも、じいさんはみんなからバカにされていたので、人前では必要以上に相手にせず、居ない所でたまにじいさんの愚痴を聞くという微妙な距離を保っていた)

それで一体何が・・・・と言うと、そのじいさんの毎日の弁当が手作りのおにぎり二つだったのだ。
中身は分からない。あれは本人が作って持ってきたのか、奥さんが作っていたのか。。。
ほとんど同じ形の何の変化も無いおにぎり二つを毎日じいさんは食べていた。

一度Aさんとじいさんの話になって、私は「あれはわびしいですね」と言った事がある。
でも考えてみれば、私も週末家で焼いたバターロール3つだけ、と言う弁当が週に一度はある。大きなお世話だったなと思う。
じいさんは年金だけでは暮らしていけなかったのかもしれない。

会社もそのうち厳しくなっていき、何度か辞めてくれないかという話はあり、やがてじいさんは辞めた。
最後の年、源泉徴収を渡す時に「年金ももらっているなら確定申告した方がいいかもしれないので税務署で相談してみてください」とじいさんに言った。でも、じいさんはあーだこーだと言って、たぶん行かなかったと思う。(さらに税金を取られてしまうと思ったのだろう)
私も詳しい事はよく分からなかった。
会社では給料分だけ源泉徴収を出せば用は済んだから。
 
辞めて数ヶ月後、私はじいさんのしていた仕事は前のファイルを見ながら、同じようにやっていたのだが、どうしても分からない事があったので、久しぶりにじいさんの家に電話してみた。
すると奥さんが出て、彼はもう亡くなったと言う。
仕事を辞めてある日、夕飯を普通に食べて、普通に眠ったままそのまま息を引き取ったと言う。

その話は、2日くらい社内で「えっ。。。」と言う感じには語られていたが、それ以上の話題にはならず忘れ去られていった。

でも、私はおにぎりと言うと、あのじいさんを思い出す。
そして、私もあの年齢で、あんな風に若者にバカにされながら、朝残り飯であんな風におにぎりを作って働く日が来るんだろうな、とぼんやり覚悟する。

K女史が「(年寄りになると)何が生きてて楽しいんでしょうね」といつか言ったことがある。
毎日楽しそうに過す老人がいる一方で、あのじいさんは何を励みに何を楽しみに生きていたのか。(孫とかなのかな)

もっとそのあたりの話をよく聞いておけばよかった、と後悔する。
私はさらに1人で何を楽しみにしてることだか。

隣の大先生

2008-10-14 | 日記
どうやら、隣で髪を切っている先生はこのお店で一番エライ先生らしい。。。
新しく入ってきた店員さんにしては恰幅と言おうか、存在感があるような気はしていたが。

そんな先生に髪を切ってもらっているオバサンが、元マラソン選手の松野明美ばりのテンションで相槌を打っている。
「すっごぉ~い!!」「そぉおなんですか~~!!」

別に松野明美がキライなわけではない。
あの人の会話はどこか予測不能なハプニングすらある。
この相槌のオバサンの場合、テンションはやたら高いが、結局この二言を繰り返すだけなのである。

大先生はそのわざとらしさが鼻につかないのか、美容の勉強に関する話、業界の知り合いの話などなど、さらにヒートアップしていく。。。。
 
う~ん。

私は少々疲れてきた。
「能ある鷹は爪を隠す」
才能は言わずにしてじわじわ感じさせる所が美学だ、と私は思っている。
もっとも隣でこう語られなければ、大先生だと私も気づかなかったわけで、先生と呼ばれる人たちはこうして名誉の後光がさして初めて輝かしく見えるものなのかもしれないが。
 
幾ら大先生とは言え、この場では客の私達の方が上なんだけど。。。
例えばうちの会社だったら、どんなに社長がエライ人であろうと、金を払う客が上なのだ。

しかし、このオバサンのヒートアップ具合と、それに乗っかってしまう大先生の喜び加減・・・たぶんこの大先生は内心、自慢したくてしょうがなく、自分も偉いと思っているのかもしれない。
まぁ、いいか。そんなことぁどうでも。


久しぶりに短くなった髪は似合ってるようにも見え、そうでもないようにも見え。
ちょっと名残惜しい。
伸びるまで、どのくらい掛かるんだろ。

でも、やってみる事は大切だ。
やらない後悔より、やった後での後悔する方が納得いく。
 
日も落ちるのが早く、夕方でもう真っ暗。
買い物もテンションが下がり、kekeと豚ドンを買って食べた。


値上がり

2008-10-13 | 私の倹約術
スーパーの食品が高くなったこと。。。

2~3年前に底値にはまって家計簿を2ヶ月くらいつけた時に我が家の食費(お菓子やペットボトルのジュース、ビールも口に入れるもの全て)は月に3万だった。
それがだね、今月7日のスーパーのレシートに『今月の当店での買い物』が1万幾らになっていた。つまり、1週間で1万円も食費に掛かってしまったってこと。

ビールや調味料はよそで買ってたりしてたから、実際に食費は月に4万4~5千円ペースになっているわけだ。
昔に比べて余計なものを作ったり食べたりしているかもしれない。でも、1日の買い物が昔は1000円越えた越えないだったのに、今では下手したら2000円近くになっている。
やっぱり値が上がってる。

だってさ、昨日140円のほうれんそうが「広告の品」になっていた。
数年前だったら、100円で広告だったのに。
シイタケだって、98円で買えた中国産がなくなって、今は国産の248円が普通。
たけのこだって、198円だとちょっとの量しか買えない。
昨日なんて、白菜が1/4で198円だった。
レタスも半分でも120円ぐらい。

そりゃ金がなくなるはずだ。

さらに美容院も金が掛かるようになった。
カラー(と言うと響きがよいが白髪染め)が3400円と言うのが売りだった行き着けの美容院が2ヶ月前から値上がりして、500~600円上がったのだ。しかもこの前はロング料金も取られた。
3400円だったものが4500円になるって、大きい。。。。

昔と同じように封筒に7万入れて光熱費と食費と美容院代を引いても、最後にまだお金が残ったはずなのに、今は残らなくなった。
あれもこれも値段が上がるのに、給料だけは上がらない。


今日は少し髪を切ろうと美容院に予約を入れて後悔してる。
もう一週間、先に延ばせばよかった。
白髪は気になるが、髪をおろせば1週間くらいまだ持っただろうに。
そうすれば、来月もその分、次の染髪も後に延ばせる。

でも、今更キャンセルも悪いから行ってこよう。

もう切ってしまえ!と思っていた髪も、やっぱりためらわれ、あと1時間もしないうちに美容院に行かねばならないのに、髪の長さも決まってない。
切る事はいつでもできるが、ここまで伸ばすには時間が掛かる。
 
まぁ、少なくても次回からロング料金が掛からない程度にはしてもらおう。
それだけでも節約効果はある。それからシャンプーもリンスも長持ちするはずだ。

でも、何だかせつないなぁ。

kekeがひとり暮らし?

2008-10-11 | 息子keke
kekeの推薦が決まった。

と言っても、まだ合格した訳ではない。
これから小論文や面談を受けねばならない。
だから「kekeはまだ分からないよ」と言う。
 
「それに遠いから1人暮らしがしたい」と言う。

「え?そうだった?乗り継ぎが楽って言ってなかったっけ?」
「乗り継ぎは少ないけど、遠いって言ったじゃん。」
「え~聞いてないよ。。。」

1人暮らしって言ったって、そんなに仕送りできないよ。貯金はたいたって月5万できるかどうか。往復4時間だって家に帰ってきた方が楽じゃない、と言うと、「月5万仕送りがあって、自分もそのくらい稼げばどうにかなるんじゃない、だってsakeの給料が18万なんでしょ?」と言う。

う~ん・・・・。
ダメだと決め付けるわけではないけど、料理も洗濯もした事がないアナタがどうやって暮らせるの?火の始末とかさ。だいたい朝起きれるわけ?学校通えるの?
行かせたくないんじゃなくて、ムリなんじゃない?って思うんだけど。

kekeは反論できずに、「まだ受かった訳じゃないから」と言った。
「そうだね、まぁ通ってみて、周り見ながら考えればいいんじゃないの?」と私も言った。
「それに、往復4時間を睡眠時間に使えばいいんじゃない?」

kekeも気弱になる。
・・ほんとはここで「ゼッタイにやる!」と言ってどんどん話が進むなら、そうせざるを得ないのだが、気弱になるなら「止めとけば?」と言いたくなる。

まぁ、まだ決まったわけではないから。。。


私はその晩、初めて彼に「このジョウタイはもう無理」と言った。

自分の口から外に出して初めて、あれもこれもいろんな我慢をしていたのだと気づいた。
意外に言ってしまえば、後悔はなかった。

初めて「考えさせてくれ」と言われた。
でも、どう転んでも、もう今までほど苦しむ事はない。
終わったら終わったでかまわないんだもの。
 

それに・・・
kekeが出て行くのなら、余力があれば夜も働くって道もある。でも、会社には知られない方がいいんじゃないかと思うんだ。

腰のおかげ

2008-10-09 | 健康とか病院とか
タンスの奥にあったゴムの安物のコルセットを見つけて巻いてみた。
だいぶそれで楽になった。

この安物コルセットはいつ買ったのだろう?
前にも中腰で作業をしててぎっくり腰みたいになって、母から「コルセットを買ったら?」と言われたのかもしれない。あれ?それはひざのサポーターだったかしら。こんな事も忘れてしまうだなんて。

帰り道、今日は何日か判らなくなった。
いや、会社の書類に9日と書いてしまったけど、それで良かったんだっけ?今日は本当に木曜日だったんだっけ?家に着いて携帯を見て正しい事が分かった。

試しに昨日の晩御飯を思い出してみよう。
それには少々時間が掛かった。サンマ・・は、一昨日焼いた残りを昨日私が食べて、kekeは食べてない。えーと、kekeは何を食べてたんだっけ?少しして、ギョウザとプルコギ風のたれで肉をやいたことを思い出した。あのタレは好評だった。。。

ダメだ・・・少し頭の特訓をしないと、このままでは若年痴呆症になりかねない。
まだ・・なるには早すぎる。
ここでそんなになったら、仕事もクビだ。

それでも、父の主治医さんによると、時間が掛かったりヒントを出されたりしても思い出せることが大切なのだそうで、それでも全く思い出せないのが認知症なのだそうだ。(と、妹が説明を受けた)
・・と言うことで、まだ一応大丈夫だと言う事にしよう。。。(怖)

話は腰の話に戻るが、ヘルニアを体験済みの工事部長によると、レントゲンだけではヘルニアの判断はできないらしい。MRIと言う代物で無いと厳密には分からないと言う。

一番痛かった月曜日。
kekeにお米を買ってきてもらったのはその日だったっけ?
「ついでに鳥のもも肉ね、胸肉じゃない方の。」と言ったけれど、kekeは胸肉の方を買ってきてしまった。(安いからこっちだと思ったんだろう)
それで、チキンナゲットを作ったのだ。

・・って事はそれよか前だ。ブログを見て分かった。(いつか痴呆になり掛けた時、きっとブログが役立つだろう。まぁ、それもごく短い間だけだけど・・そのうちブログの存在さえ忘れてしまうだろうから。)

腰が痛いながらも、私はいつも通り自転車で会社に行き、帰ってきて台所に立つ。
モノが覚えられなくなったら、最初は抵抗がてら思い出したフリなんぞしながら、やがれは白日の下にさらされ、無抵抗のままクビになろう。
 
腰のおかげでつくづく分かった。
私のような1人もんは、体が資本なのだと。
体が続く間はできる限りの事をして、それができなくなったら天命なのだ。
人間だけが、どうして欲張って、それでも寿命を延ばすことに固執するのだろう。

生きてればいいってものでもないのにね。

戦争体験談

2008-10-08 | 息子keke
私の知り合いの某何がしさんが務めている何とか会で、「地元で戦争体験を持つ人」の話を募集しているそうである。

「sakeさんのお父さんは年齢的にそうだっけ?」
「あぁ、そうですね。何しろ最後の少年飛行兵だったそうですから。(但し入隊してすぐに終戦になったので戦地には行っていない)」

「ぜひ、話を聞きたい」と言われるが、「そう言う次元ではないですから。ボケてて、話の真偽すら判断しかねる状態です。」と言って断った。

が、数日後、また彼にそのような問い合わせを受けた

「父は取材を受けるような状態ではないんです。それに前に父から戦争の記憶を聞いたことがありますが、おちゃらけた話ばかりで戦争を語るにふさわしくないような内容ばかりなんですよ。」
「それでいいんだよ。。。実際に戦争を体験してても『辛くて思い出したくない』人には申し訳ないからね。」

そして身の証を立てるかのように最近徘徊して大騒ぎになったとか、ショートステイ先からも断られたエピソードを語った。(さすがによその部屋で粗相をしたとまでは父の名誉のために言えず)
そして、諦めてもらった。

その後、妹に電話して「こんな話があったんだけど」と言うと、妹は即効「ムリでしょう」と言う。

「今では石原裕次郎と美空ひばりが同級生になってるよ。(妄想で)自慢話がどんどん膨れ上がっているの。」
「そうだよね・・」

・・・・ふぅ。

そんな話も織り交ぜながら、親の介護は大変だ、と言う話になった。

「オレん家は母が1人で残ったらどうなるかな・・・」
「私も妹もそれまでは母が残ったら・・と心配してましたが、結果的に残ったのは父の方でした、そんなものかもしれませんよ。」

不謹慎ではあるが、その父も妹が面倒を看ててくれる。。。。私はそう言う意味ではラッキーガールかもしれない。
旦那の親と言う面倒な存在はない。

10年1人で子供を育ててきた。
妹や両親には助けられたが、根本的に私は1人だった。
1人では何度も泣いたけれど(今でもそうだけど)、この寂しさを救ってくれ、とは誰にも言えなかった。そう思ったら負けだと思ってきた。

介護の時点になって通常の半分以下の負担で済む裏には、今までの長い年月の孤独、1人での戦いの日々があるんだよ・・・と言う事にしておこう。
もっとも、旦那が居ても孤独の人も居るかもしれないが、それでも旦那が居るというだけで世間からの偏見は免れる。ひと昔の私のように「やれ再婚しろ」だのギャースカ言われないで済む。
それにそう言う人に限って、イヤだと言いながらも離婚はしなかったりするものだ。
イヤだと言いながらも、離婚して1人で生きるよか、マシなのだ。
 
そうでも思わなきゃ、やってらんない。