きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

今夜はずる休み

2014-08-06 | 息子keke
昨日は外はホントに暑かったらしい。
来る人来る人暑い暑い一番暑いと言っていた。

たしかに夜になっても暑くて、寝る時肩を冷やさないようにTシャツをはおる私も昨日はタオルを肩に掛けるだけだった。汗が布団につきまとって、干さないとやばいかもしれない。

たぶん暑さのせいではなく、無性に腹が立つのでAさんに難癖をつけると「幸せは来るものじゃなくて自分で感じるものなんだよ」とAさんはいい、この前思い切って3,000円のうなぎを(店を選んで食べるチャンスを計画して)1人で食べたんだよ、至福の幸せだった、そう言えばいつか健康診断の後、うなぎ食べようって店に入ったのにsakeさん食べなかったね?なんで?オレの金を気にしてたのかなって後で思ったんだ、やっぱりそうだったの?そんなの気にしなくていいのに、今度ごちそうするよウナギ・・・と言う話をするので、ッグググググ・・・んなの私だって分かってますよ、それでも昨日より今日、今日より明日がよくなると思えなければ人は生きていけない、もう私には何もそれがない・時間を返せ・成仏できなかったら一生取り付いてやると言うと、オレの方が先に死ぬよ病気もちだもの、それに自分で選んだことでしょ、その中でやっていくならどこを歩み寄るか前向きに考えようよ。。。。

もうこんな一生捨ててしまいたい、今日はそんなモードが入ってしまい、家に帰って「今日は具合が悪い、夕飯作れないからやってほしい。」とkekeに言うと、kekeはやってくれると言う。「ひき肉があるからマーボー豆腐ならできる」と言うと、豆腐を買いに行ってくれた。

暑かった。
今夜はずる休みをしてしまった。

でもそんな自分もたまにはいいよね。
後でちょっと悪かったなって、思ってまた頑張れたら。


最近はこうしてあとになって自分を許すことにしている。
自分を責めるとキリがないし、ずっと浮かび上がってこれなくなるから、どんな自分も認めるようにしている。
だから、周りの人に迷惑になると思って、なるべく人付き合いを避けている。

それで、あとになってほんのちょっと「悪かったな」って思うんだ。

自分の感じること、間違っていてもなんでも一応認めてあげたい。
そんな時も、こんな時もあって、今日はそれでいい。


kekeが作ってくれたサラダ。
紫キャベツが70円だったので買ってみたそうだ。私も大昔に買った事があったようななかったような紫キャベツは気のせいか甘く感じた。


マーボー豆腐はたぶん正確な分量で作ったのだろう、おいしかった。丸美屋の2回分作れる「麻婆豆腐の素」。

こちらはやたら暑いけど、大雨の降っている地域の方も居ることを考えた。

最近の身の回りの出来事(トイレの草が枯れるほか)

2014-08-04 | 今の会社
●男子トイレの草が枯れる。


お花屋さんから小さな鉢植えをいただいた。
最初は会議室のテーブルに置いておいたが、「このささやかな緑を男子トイレに置いておいたらどうだろう?」と考えた。
みんなが暑い中帰ってきて、トイレに駆け込んだ時に、ホッと緑が隣にあったら心も和むのではなかろうか・・・と。
そして、男子トイレの洗面所の脇にそっと、鉢植えを置いた。

しかし、だがしかし、私もマメにトイレ掃除をしていないので、次に男子トイレを掃除したのは10日ぐらい後であった。
開けた瞬間、「あっっっ!!」と思ったが、もうその鉢植えはぐったり萎れていたのだ。

どうして手を洗う時に誰もついでに水をあげてくれなかったの?!と思ったが時すでに遅し。

私の「あっっっ」というデカイ声を聴いて、nanuさんが「どうしたんだ?」と言うので、「この鉢植えが枯れてますよ」と言うと、「今から水をあげれば大丈夫だろ」と言うので、台所に緊急避難させ、水をあげた。

週末が過ぎ、今日(月曜)会社に行くとnanuさんが「オレも水をあげたけどダメだったぞ」と言う。

私もダメだと思う。だってもう茎が糸のように細かったもの。。。。ザンネン無念。。。



●CDが3枚ダメになった。

この前久しぶりに明菜のCDを掛けた。(覚えきってない新しめの曲である。)
6曲目でグルグル同じ所ばかりかかるので、「そろそろCDデッキをクリーニングしないとダメなのかな?」と思いつつもあきらめきれず、またかけてみたところ、また同じところでグルグル同じところばかりかかるので、「CDに傷でもついているのだろうかな?」とひょいと裏返して驚いたのは、白い粒状のモノが3つぐらいポツポツと浮かんでいるのである。


「げげっ、カビかも?!」
と思い、慌てて、他のCDもひっくり返して調べてみると、どうやら3枚の被害の様である。

たぶん、冬場に結露したまま水分が乾かず、カビ(カビかどうかも分からないよ)が生えたのか?!

うーん、よく分からないけど、3枚ぐらいの被害なので捨ててしまおうと思う。
これから結露の時期はCDをなるべく広く後部座席に置いておこうと思う。


●ビールの新商品


変わったデザインなので、この発泡酒を買ってみた。
(ホワイトベルグと言う名前らしい。)

ベルギーのホップだか何かを使ってるそうで、そう言われてみればあちら系の苦みを感じなくもない。
最初飲んだ時はイマイチだなと思ったが、2本3本と飲んでいるうちにおいしく感じるようになった。

やはり夏はビールだな、と思った次第。
(隣りにある料理は鶏肉と大根の煮物にゆで卵も入れてみたもの。)

生きているのがツラすぎる

2014-08-03 | 息子keke
気分の浮き沈みが激しいのは毎度の事ながら、やりきれなくなる。
寝てる時にコッソリ机を見る。昨日どころか、この2週間ほとんど机上は何も変わって無い。

「アイツはいったい何をしているのか」

息子のことだ。
今日こそはきちんと目を見て話したいと思い、「お前はいったい何をしているのだ」と言うが、言うたびにふて寝である。「アンタに言っても反対されるだけ」「またうるさいことを言うのか」という。

履歴書1枚書いているとも思えず、このクソ暑いのに部屋にこもっているか、寝ている。たまに便所に行ったり飯を食ったりしているが、それ以外の姿を見ていない。

それでなくても暑いんだ!

「同じ結果でも、何かを一生懸命やっているか、そうでないかで違うんだぞ」と私は言う。「一生懸命やっている風だったら何も言われない。そう見えないから言われるのだ」と言う。

でも言うだけ。
一方通行である。

これ以上言うと、またここで返すと、喧々囂々のケンカになるのがお互い分かっているからである。
つまり、このままナシのつぶての休戦状態で、また明日もあさってもこの状況が続くのだろう。

昨日のやなせさんではないが自分が「何のために生まれ何をして生きてきたのか」分からん。両親にツバを吐くみたいで心苦しいが、生まれてこなければ良かった。結婚就職子育て何をしても失敗だらけ。私がいなければ「生まれてこなければ良かった」というkekeも生まれてこず、もっと別の人の別の素晴らしい人生がここにあったのではないか。

そして息子の言う事もかなり一理ある。
例えばここで息子が何かの資格の勉強をこっそりしていたと仮定しよう。私はそれを素直に応援できるのか。

今の世の中、こうして職を求める若者のためにどれだけ専門学校や、資格所得コースがバカ流行しているか。それがどれだけの効果をうんでいるのか、私は冷めた目で見ている。大人達が寄ってたかって、子供の前でニンジンぶらさげて走らせて、金だけ搾取しているようにすら見えてしまう。
(今の世の中って、実際そういう所があると思う。)

でもそれでもそれが息子の人生なのだ。だまされようが、失敗しようがそれを本人が選んだのだ。
本人、親に言えばまた萎えるのが分かってるから言わない。自分の人生は自分で責任を取ると言う。最後は自分で責任を取るから(例えそれが死であっても)、好きに生きたいと言う。

もうほんとに、生きているのが辛すぎる。



そんな時、図書館でふと手に取ったのが葉祥明さんの「気にしない」という本である。

それは最後にこう書いてある。

  いいかい、人生はね、捨てたもんじゃないんだよ。
  あなただって、なかなかものものだ。
   (中略)
  最後にもう一度自分に向かって言ってごらん。
  気にしない!
  気にしない!
  きっと、いいことがある!と。

全部引用できないのが残念だが、偶然手に取ったのも何かの縁。
これを両親からのメッセージだと思うことにしよう。。。

「何のために生まれてきたの?」/やなせたかしさん

2014-08-02 | 読んだ本
今日はやなせたかしさんの本の紹介である。
「何のために生まれてきたの?」

これは面白かった。

やなせさんはとても信念を持っていて、「戦争」というのを信じていない人なのである。どちらの国も正義なんて言い訳してるけど、正義って立場によっていろいろ変わっちゃうんだよね、ということを言っている。だけど間違いなく「正義」というものがあって、それは困っている人にパンを与えることなんだ、それは世界のどこの国でも間違いない正義だと。
やなせさんは、実際に戦争時代の体験から何が一番辛かったかと言うと、「お腹がすくこと」だったのだと言う。そこで困った人に自分の顔を分け与えるアンパンマンと言うキャラクターが生まれたのだそうだ。

最初は大人向けのブラック童話(?)だったのだが、あまり受けず、出版社からも「もっと刺激的なのにしないと売れませんよ」等と言われるが、「ボクの書きたいのはこれ!」と信念を貫いて書き続けるのである。そして子供から人気が出て大ヒットしたのが69歳だったとか。


あまりにもこの本が面白かったので、もう1冊借りた。

「ぼくは戦争が大きらい」
これは実際の戦争体験を書かれたものである。
軍隊に召集されて集団生活、中国への遠征(しかし偶然も重なり戦場にはならなかった)、上海で迎えた終戦のことなど。

読んですぐにブログに書けば良かったのだけど、父のことなどで書けずにいるうちに忘れてしまった事も多くて書くこともままならないのだが、この本も面白かったことは覚えている。(やなせさんが亡くなる前の年ぐらいにゴーストライターさんがインタビューをまとめたようである。)

やなせさんは軍隊に入っても「こんな練習じゃ負けるだろうなぁ」等と冷めた目で見ていたり、暗号を解読する係なので日頃割とヒマだったりするのだけど、暗号を読み間違えると大変なことになるので、その時は緊張していたそうである。

これを読んで自分の父と似たところもあるし、違う所もあるなぁと思った。
似た所は、父の戦争の話もどこか冷めた所があったのと、違う所は父は「日本が戦争をしたのは間違ってない」と思っていたし、自ら志願したのはずっと名誉としていたことである。たぶん年齢が一回り違うので父はそういう教育を受けていたのだろう。(やなせさんは「志願したのはごく一部、たいていの人は赤紙がきてから行った」と書いてある。)

たしかに最近、平和ボケと言うか、戦争の悲惨さを忘れつつあるような気がするのは私だけだろうか。
これを読んで改めて「戦争はよくないな」と思った。


ちなみにやなせさんは、南京にも軍隊で出向いているがのんびりした町だったようなことが書いてある。やなせさん自身は「南京大虐殺はなかったのではないか」と考えているようである。
中国の軍隊でも民家から略奪をしているようなものがあり、そういう町では逆に日本軍がそういうことをしないので逆に駐留するのを喜ばれたそうである。(こういう所は父の話と似ている雰囲気がある。)
やはり体験者の話は興味深い。

父が元気な時にもっと戦争の話を聞いておけば良かったと思う。
母は嫌な記憶しかないようだし、祖母はさらに思い出すのもイヤだったようだ。(旦那も両親もその間に亡くしたのだ)
そう言えば、またそろそろ終戦記念日だ。。。