きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

生きているのがツラすぎる

2014-08-03 | 息子keke
気分の浮き沈みが激しいのは毎度の事ながら、やりきれなくなる。
寝てる時にコッソリ机を見る。昨日どころか、この2週間ほとんど机上は何も変わって無い。

「アイツはいったい何をしているのか」

息子のことだ。
今日こそはきちんと目を見て話したいと思い、「お前はいったい何をしているのだ」と言うが、言うたびにふて寝である。「アンタに言っても反対されるだけ」「またうるさいことを言うのか」という。

履歴書1枚書いているとも思えず、このクソ暑いのに部屋にこもっているか、寝ている。たまに便所に行ったり飯を食ったりしているが、それ以外の姿を見ていない。

それでなくても暑いんだ!

「同じ結果でも、何かを一生懸命やっているか、そうでないかで違うんだぞ」と私は言う。「一生懸命やっている風だったら何も言われない。そう見えないから言われるのだ」と言う。

でも言うだけ。
一方通行である。

これ以上言うと、またここで返すと、喧々囂々のケンカになるのがお互い分かっているからである。
つまり、このままナシのつぶての休戦状態で、また明日もあさってもこの状況が続くのだろう。

昨日のやなせさんではないが自分が「何のために生まれ何をして生きてきたのか」分からん。両親にツバを吐くみたいで心苦しいが、生まれてこなければ良かった。結婚就職子育て何をしても失敗だらけ。私がいなければ「生まれてこなければ良かった」というkekeも生まれてこず、もっと別の人の別の素晴らしい人生がここにあったのではないか。

そして息子の言う事もかなり一理ある。
例えばここで息子が何かの資格の勉強をこっそりしていたと仮定しよう。私はそれを素直に応援できるのか。

今の世の中、こうして職を求める若者のためにどれだけ専門学校や、資格所得コースがバカ流行しているか。それがどれだけの効果をうんでいるのか、私は冷めた目で見ている。大人達が寄ってたかって、子供の前でニンジンぶらさげて走らせて、金だけ搾取しているようにすら見えてしまう。
(今の世の中って、実際そういう所があると思う。)

でもそれでもそれが息子の人生なのだ。だまされようが、失敗しようがそれを本人が選んだのだ。
本人、親に言えばまた萎えるのが分かってるから言わない。自分の人生は自分で責任を取ると言う。最後は自分で責任を取るから(例えそれが死であっても)、好きに生きたいと言う。

もうほんとに、生きているのが辛すぎる。



そんな時、図書館でふと手に取ったのが葉祥明さんの「気にしない」という本である。

それは最後にこう書いてある。

  いいかい、人生はね、捨てたもんじゃないんだよ。
  あなただって、なかなかものものだ。
   (中略)
  最後にもう一度自分に向かって言ってごらん。
  気にしない!
  気にしない!
  きっと、いいことがある!と。

全部引用できないのが残念だが、偶然手に取ったのも何かの縁。
これを両親からのメッセージだと思うことにしよう。。。