八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

北京オリンピック・野球一次リーグ 韓国戦敗退…

2008年08月17日 19時31分04秒 | プロ野球・高校野球

初戦キューバ戦に敗れたものの、その後2勝し迎えた韓国戦。出場8カ国が総当たりで戦い、上位4チームが決勝トーナメントに進出するリーグ戦前半の天王山とも言える重要な一戦でしたが、まったく無様な敗戦でした。まったく無策といってもいいでしょう。
 
前半は素晴らしい投手戦でした。打撃面で言いたいことはなくはないですが、6回裏、新井が先制ツーランを打つまではまあ良い試合展開でした。しかし、直後の7回表、好投していた和田が一発だけを注意しなければならない場面で同点ツーランを浴びたのも、不注意でしたが、まあ仕方がありません。6回まで素晴らしいピッチングをしていた和田を代えなかったのも、結果論になりますから、ベンチを責められないでしょう。
 
しかし、川上をはさんで岩瀬につないで2イニング目となる9回表、ヒットをつながれ1点勝ち越された場面では、投手交代の場面でした。今シーズンは岩瀬らしくない救援失敗を何度かしていることもありますし、流れを変える意味でも交代すべきだったと思います。しかし、ベンチは動きませんでした。動きすぎではないかと思われた韓国ベンチとは対照的でした。岩瀬続投後の結果は、岩瀬の責任ではありませんが、堅い守りとつなぐ攻撃を信条とするスモールベースボールを標榜する日本チームとしては、お粗末な守りでした。その前にもファールフライを捕り損なっているサード村田が小フライを捕れずに1失点、ツーストライクに追い込んでから、二塁盗塁阻止を変に意識したキャッチャー阿倍の暴投で1失点と、痛恨の追加点を取られたのでした。最初の勝ち越し点は仕方ないとしても、あとの2点は重すぎる2点でした。
 
最終回となる9回裏、新井の意地の三塁打、稲葉の三塁強襲安打で1点を返し、村田もミスを取り返す右線二塁打で無死二三塁、一打同点、ホームランで逆転サヨナラの場面としましたが、韓国の小刻みな継投の前に、阿倍は浅い左翼フライで犠飛とできず、GG佐藤は力ないスイングでボール球を空振り三振、代打森野も内野ゴロでゲームセットとなりました。
 
直接的な敗因は、継投ミスとお粗末な守備ですが、間接的な敗因としては、スモールベースボールとは言えない打撃にもあったと思います。この大会で、そこそこ結果は出していますが、西武のGG佐藤・中島、横浜の村田などはスモールベースボールを体現する選手とは思えません。やはり、しつこく食らいついたり、チームバッティングなど小技が出来る選手が必要な気がします。最終回のGG佐藤もまったく力のないスイングで、あれでは当たってもボテボテです。森野も意外性のバッターという印象で、それほど確実性があるとは思えません。宮本などの方がよほど良かったと思います。前半戦も相手が良かったとはいえ、各打者ともセンターから右を狙うなどの意図も見えず、クルクルと三振し、まったくお粗末でした。一番お粗末だったのは里崎で、三球ともまったくかすりもせずの空振り三振でした。まるで少年野球です。
 
昨年のWBCで日本代表が見出した勝利への戦術が「スモールベースボール」だったはずです。投手力を軸とし、固い守り、つなぐバッティング、抜け目のない走塁がそれです。しかし、今回のチームでは、メジャー流出やケガなどの影響もあると思いますが、代表選抜の面でスモールベースボールのカラーが薄れていると思います。そのうえ、五輪開幕後にスモールベースボールの代表格川崎、西岡らのケガで一層そのカラーが薄まっています。しかし、問題はそれだけではなく、試合中の策のなさです。相手投手に対しどういう打撃をするのか指示を出しているようには思えず、選手が勝手に打っているように見えましたし、1点勝負の終盤に、投手だけでなく、決して守備がいいとは言えないショート中島、サード村田、レフトGG佐藤などで良かったのかと思います。また、昨年のWBCであれほど「日本のために」と一丸になった気迫も感じられません。
 
マスコミを使うのがうまい星野監督の活動で、事前の盛り上げは十分でしたが、チームづくりの準備不足と田淵・山本という仲良しトリオの首脳陣で戦えるのだろうかと、非常に不安になる一戦でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

史蹟巡り

2008年08月17日 10時10分25秒 | 管理人のこと、雑感
息子との二人旅の三日目です。半日海で過ごすことも出来ましたが、天気が悪かったこともありますし、元々別な予定を組んでいたので、朝8時にはチェックアウトして出発しました。新潟といえば越後の国で、戦国武将上杉謙信の本拠地です。息子が(ゲームの影響ですが)戦国時代に興味を持っており、中でも上杉謙信を気にいっているので、上杉謙信ゆかりの地を訪ねて、信州のカミさんの実家に向かうことにしました。
 
柏崎市から西へ30㌔ほど下ると、謙信の本拠地だった上越市(昔の高田市)です。小一時間ほどで着く距離ですが、前の日から朝から雷がなるなどゲリラ豪雨に見舞われた日本海側は、この日も同様の天候で、出発して間もなく猛烈な雨が落ちてきました。あまりの激しい雨で行き先の道路標識も見えず、違う場所で曲がってしまい一瞬焦りましたが、地図を見てある程度目星をつけていったので、そちらの方向へ修正していくと、案内看板がすぐに見つかり、目当ての春日山城跡につきました。そして、雨も小降りになりました。
 
  

上の銅像は謙信の像です。春日山城は、戦国期の城ですから守りを固めた山城です。江戸時代の城のような華麗な天守閣はありません。しかし、それだけに戦国の息吹が感じられます。上の写真の左手を上がっていくと、歩いて10分から15分ほどで本丸だそうですが、いつまた土砂降りになるか分からず、雷に打たれても困りますから、残念ながら上にいくのは断念しました。

  

春日山城跡を下ってすぐのところに、林泉寺という寺があります。長尾氏(上杉氏に改姓する前の姓)創建の寺で、戦国武将の中でも文武両道に秀でた謙信は、幼い頃からこの寺で学問を修めたそうです。寺内には宝物殿があり、謙信などのゆかりの品を展示してあります。上杉景勝が米沢に移封された後の領主堀氏、榊原氏にも厚く保護され、歴代領主の墓もあります。下は謙信の墓です。

  

この他、謙信ゆかりの展示がある「埋蔵文化財センター」や「ものがたり館」などが付近にあるのですが、時間の関係があるので残念ながらそちらには寄らずに、上越市を後にしました。

上信越道で長野に向い南下しましたが、新潟・長野県境は険しい山に阻まれていますから、現在の道路が走っている場所がかつての交流のルートだったはずです。謙信がたびたび信州に侵攻し、信州の覇権を争い武田信玄と川中島で相まみえたのは有名な話ですが、時速100㌔でも1時間以上かかる道のりを、徒歩や馬で進んだのですから往時の苦労がしのばれます。本当は川中島古戦場周辺にも寄りたかったのですが、残念ながらこちらもパスしました。代わりに息子が本物の天守閣を見たことがないので、松本城に寄りました。

  

新潟県が雨で涼しかったのに比べ、山を越えて信州に入るといつもは涼しい信州が猛烈な暑さでした。松本は猛暑日だったではないかと思います。私も子どものころ、城に熱中していたので写真で見たことはあったのですが、実物を見るのは初めてでした。壮麗で雄大な様から白鷺城と呼ばれる姫路城に対し、黒壁で質実な様から烏城と呼ばれる松本城ですが、噂にたがわぬ美しい城でした。殿様気分を味わってもらおうと天守閣内に入るつもりだったのですが、お盆休みのこの日は大変な人出で、入場制限をしている上、混雑で参観に1時間20分もかかるということで、これも止む無く断念しました。

慌ただしい越後・信州の史蹟めぐりを終え、一路松本から南下し、カミさんの実家に到着。二泊三日の息子との二人旅も終了しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする