前に坊主刈りにした中田翔選手の顔つきについて書きました(「顔つき」)。いい意味ではなく、どちらかと言うと、厳しさが表れていないまだまだ甘い顔つきという意味で書きました。しかし、同じことに対して、まったく違う見方をする人もいます。
豊田泰光氏が今朝のコラムで中田のことを「面構えがいい。不敵な表情で言動に未熟さを残すが、世慣れた若者よりずっといい。今の足りない力量は大目に見て、育てるべき」との論を展開しています。私とはまったく真逆ですし、いつもは辛口な豊田氏には珍しい論旨です。
一つには、並の一流選手は普通に出てきても、超一流は意図的に育てないと出現しないということがあると思います。ある意味正論でもあるでしょう。王さんも「王、王、三振王」とヤジられながらも新人から起用されていました。しかし、王さんが超一流になったのは、意識して起用してもらったからではなく、本人が殻を破るべく努力をしたからでしょう。イチローや松井だって同じだと思います。そういう意味で、豊田氏の論はやはり甘いと思います。
豊田氏もだいぶ歳をとり若者に注ぐ視線が優しくなったことと、サムライと言われた自分自身に引き比べているのでしょうが、やんちゃなように見えて、ひと癖もふた癖もあるサムライたちの中でいろいろ考えていた豊田氏と中田選手ではだいぶ状況が違うような気がします。
意図的に育てるのはいいと思いますが、それは今の中田選手の未熟さを「大目に見る」ことではなく、もっともっと厳しく鍛えることだと私は思います。清原選手のように類まれな才能を持った選手も、本当の厳しさにもまれなかった結果、遂に無冠に終わりました。ましてや、中田は清原と同じスタートラインにも立っていません。無条件に使い続けるのではなく、中田の内面の成長を見ながら、試合で使い続けたり、控えに回したりと、今、中田選手に一番必要なことは何かを考えた起用が首脳陣に求められていると思います。大物を抱えると大変ですね。
今日のジョグ
雨で中止です。