仕事生活ではなく、仕事と生活の調和をとろうという官民あげての取り組みのことです。元国連事務次長の明石康さんが、このワーク・ライフ・バランスに違和感を感じるということをコラムで書いていました。曰く、
「ワーク・ライフ・バランスの論調は、仕事と生活は、水と油のように相容れぬ関係で、仕事に没頭することは悪いことと言っているように感じるが、仕事に喜びを見出し、朝から晩まで働くワーカホリック(仕事中毒)であることは決して悪いことではない。仕事と生活のバランスを半々が好ましいとイメージさせるが、人生で何に意義を見出すかは人それぞれで、それが仕事であっても、生活であっても構わない。自らそれを選び、実現できることが大事だ」
というような主旨です。
世の中の常識や、当然のように語られることに対し、疑問を呈するのは、批評の態度として非常に大切なことですし、必要な視点です。しかし、この発言はやや上から目線というか、独善的なような気がします。
スポーツ選手や芸術家、起業家など、生活の糧を得るために選択した「仕事」ではなく、自分の生きがいが職業になっている人や、国や大きな組織を動かす一握りのエリートなどは、働くことそれ自体が生きがいであり、嫌々働いているわけではないでしょう。
しかし、チャップリンのモダンタイムスのような時代からだいぶ労働時間は減り、待遇改善はされてきているとはいえ、大多数の人にとって仕事とは、生活の糧を得るためのものであり、「やりがい」をもって働くにこしたことはないですが、「生きがい」にはなかなかなり得ないものです。
昔は今よりひどい労働条件で働いていましたが、その当時の人は「今」を知らないわけで、生活のためにはそうせざるを得なかったわけです。高度成長期もみな馬車馬のように働いていましたが、それはその先に豊かな生活があると夢を見られたからでもあります。そして、今、物質的な豊かさが飽和点を迎える中で、労働条件は楽になったと言っても、何のために働くのかを見出すのは難しくなっていると言えるでしょう。
明石さんは、「人それぞれ」と言いますし、それは正論です。しかし、明石さんのように仕事に生きがいを感じ、朝から晩まで働くのが苦ではない人は圧倒的な少数派であり、大多数の人は、現在の状況を個人的なものと片付けられないと思います。私は会社に行くのは嫌ではありませんし、やりがいを持って働きたいと思っていますし。しかし、仕事はどこまで行っても仕事であり、「生きがい」でも「第一」でもありません。明石さんがワーク・ライフ・バランスが仕事を悪者扱いしていると思うように、私から見れば、明石さんはワーク・ライフ・バランスを「面白おかしく過ごすもの」という偏見を持っているように思います。
生きるために働かなければならない時代を過ぎ、豊かになるということを目指しがむしゃらに働く時代を過ぎ、物質的には豊かにはなったものの何のために働くのかに迷う人が多い時代になったからこそ出てきた、ワーク・ライフ・バランスであり、別に「面白おかしく過ごしたい」わけではないと思います。
今の社会背景の中で仕事とバランスをとるべき生活とは、都市化、近代化の中で失われた、地域とのつながりなどを再生することではないかと、個人的には思います。子どもの頃から引っ越しで関東各地を転々とした私は、ここ八王子でようやく腰を落ち着けました。しかし、2時間近くかけて都心に通勤する毎日の中で、家は寝に帰ってくるような場所で、当然ながら「家」を持っても地域の中では根無し草でした。それが、倅が散ドラに入って自分が参加するようになって、ようやく少しですが、地域に足がかりが出来たように思います。これからの日本にはそういうことがとても大事なことのような気がします。
が、しかし、です。自分自身のそんな思惑とは別に、組織は組織の都合で動くので、なかなか思うようにさせてくれないのも実情です。今の立場は一スタッフなので、自分の与えられた仕事を自分の裁量の中でこなしていれば、かなり自由に動けます。できれば、ずっとこのままでいたいところですが、年齢的にもそろそろそれだけでは済まない雰囲気が非常にしています。今年の春は何とか逃げ切りましたが、来年の春も逃げ切れるのか。正直なところ、かなり外堀が埋まっているような気がしてなりません。悩みどころです。
今日のジョグ
ずる休み。