今年は沢山の喪中はがきを頂戴した。10通にも及んで驚いているが、それぞれの御身内のご遠行に対し心からお悔やみを申し上げる。
明日大正5年12月9日は文豪・夏目漱石が亡くなられた日である。
そう気づいて数日前から御夫人・夏目鏡子氏の著(松岡譲筆録)「漱石の思い出」を読んでいる。
明治41年9月14日「吾輩は猫である」の猫が死んだとき、漱石は有名な「猫の死亡通知」を出している。
辱知猫義久々病氣の處療養不相叶昨夜いつの間にかうらの物置のヘツツイの上にて逝去致候
埋葬の義は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但主人「三四郎」執筆中につき御
會葬には及び不申候 以上
九月十四日
そんなユーモアにあふれた漱石先生は自らは胃痛もちで、明治末年にはわざわざ病気療養のためにと出かけた修善寺で、胃潰瘍による大出血で危篤状態に陥っている。
奇跡的に生還した漱石先生は、大正5年11月ころら吐血を繰り返すようになり、鏡子夫人に大いに手を焼かせながら、また大文豪の命の灯を何とか消さないように周囲の人々が尽力している。
鏡子夫人の回想の中に「中なおり」という言葉が出てきて一瞬何のことだろうかと思ったが、危篤状態の中に一時気が戻ることをそういうらしいが、「中治り」が本当らしい。
祈祷師を呼んで気合を入れると良いといったのは見舞客の和辻哲郎氏、長男は写真を撮ると生き延びると言い出し鏡子夫人は写真屋を読んでいる。
漱石先生は面変わりした父の顔を見て泣き出す娘をなだめ、長男には笑顔を返し、お見舞いの方々の名前を聞いてはもう目はとじたままで「ありがとう」の言葉を残して旅立たれた。
漱石先生の遺骸は解剖に賦されている。胃の出口(噴門部)に50×15mmという潰瘍と小腸に出血痕が認められたという。
大文豪・夏目漱石はロンドン留学中には孤独な生活の中で神経衰弱をおこし文部省は「夏目は精神に異状あり」として帰国させている。
ユーモリストとは思えない繊細なお人柄であったことが胃弱の体質となったと思われる。
娘婿・松岡譲氏の筆録ながら、鏡子夫人の漱石先生の臨終前後の立ち居振る舞いは、強い意志に支えられた強い幕末明治を生きた女性像を見る思いがする。
漱石先生没後107年を明日むかえる。