明治四年四月浅草で写されたと言う正真正銘の写真なのだが、新聞記事からスキャンしたので裏の記事の大きな見出し文字が写りこんでしまった。
熊本藩の藤本吉太郎の肖像写真である。1871年の8月9日、「士農工商四民の斬髪勝手たるべき事」という太政官布の発令後、早々に断髪していることがわかる。洋服・高下駄に大刀をもつという、いささか異形ではあるが、この時期このような出で立ちの人が闊歩していたわけである。吉太郎は熊本で言うところの「わさもん」 だったのだろう。新聞の解説によるとこの時期29歳、西南戦争には長男を連れて西郷軍に従軍したという。
米田家・有吉家などの家老や、長岡和泉、長岡監物などの下屋敷が多くあったが、国道3号線が南北に貫き町は分断された。
しかし七曲りなどの古い道筋は藩政時代そのままに残されていて、往時をうかがい事が出来る。中央にある見性寺は米田家の菩提寺である。
藩士リストは少々お待ち下さい