津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「信長からの手紙」展

2014-10-05 08:56:04 | 展覧会

 お待ちかねの細川コレクション「信長からの手紙」展があと5日にせまってきた。
信長の手紙がまもとまってこれだけの数、地元熊本で見ることが出来ることは誠に有り難い。今後度々見れるものではないから前後期展示は勿論、何度か拝見しようと思っている。
熊本で先に発見された書状なども日本で最初の展示でもあり、誠に興味深い。 

 


              

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■潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆

2014-10-05 07:20:43 | 書籍・読書
  潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆 (講談社選書メチエ)
 
                  講談社

幕藩体制下の禁教政策により、厳しく弾圧されてきたキリスト教徒=キリシタンは、江戸幕府が倒れ、明治新政府下では信仰の自由が認められ、解放された――。一般にこのように思われている「日本社会の近代化」は、歴史の真実といえるだろうか。そもそも、「キリシタン」とは何なのか。従来のような「ひとつの村が、近世初期から明治まで、ひたすら信仰を守り続けた隠れキリシタン」といった平板な理解に再考を促す。
例えば、非キリシタンであったにもかかわらず、領主の苛政への反発から一揆を起こした民衆を「切支丹」として弾圧した事例や、一方で、藩内のキリシタンの存在を隠すために、問題行動を起こさないキリシタン百姓を藩が黙認していた事例、また、キリスト教とはかけ離れた民間信仰でありながら「切支丹」とされた事例などを取り上げる。これらの事例を見ていくと、西欧語の訳語である「宗教」の名で人々の信仰が管理・統制されるようになった近代が、近世よりも解放されているとはいいきれないという。
「キリシタン」をめぐる宗教政策の変化と実態を丹念に探り、近世における宗教観、歴史と宗教のかかわりに新しい視野を提供する。

序章 キリシタンを見る視座
第一章 「伴天連門徒」から「切支丹」へ
1 キリシタンの登場と近世日本の統一権力
2 「伴天連門徒」という認識
3 島原天草一揆の性格
4 宗門改制度の成立
5 踏絵の二面性

第二章 「異宗」「異法」「切支丹」
1 異端的宗教活動への規制
2 浦上崩れと天草崩れ
3 異端的宗教活動という枠組み

第三章 島原天草一揆と「切支丹」の記憶
1 近世社会における異端の象徴
2 「切支丹」イメージの貧困化
3 近世社会を相対化する手段

第四章 異端的宗教活動から「切支丹」への転回
1 「切支丹」の登場
2 「切支丹」たちの人生
3 京阪「切支丹」一件の位置

第五章 信仰共同体と生活共同体
1 潜伏キリシタンの信仰共同体
2 潜伏キリシタンの生活共同体――天草の場合
3 潜伏キリシタンの生活共同体――浦上の場合
4 属性の重層性

第六章 重層する属性と秩序意識
1 キリシタン禁制と「仁政」
2 信仰隠匿から信仰表明への転回
3 村社会における宗教的確執
4 キリスト教は解禁されたか

終章 宗教は解放されたか?

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