清原宣賢--+---業賢---枝賢----国賢--------(船橋)秀賢
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+---智慶院---+---幽齋---忠興======●
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細川晴員 +--壽光院 |
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佐々木越中守
細川幽齋の生母・智慶院の生家清原家に下って秀賢という人物がある。幽齋の妹・壽光院の娘を息・忠興の養女として秀賢の室となした。
その船橋秀賢が「慶長日件録」という著を残している。完本として残されているのは慶長8年からの5年分だとされるが、5年から18年までの間の部分的なものを含めて残されているという。
東京大学デジタルライブラリーでは、昭和14年発行の「日本古典全集」からこの「慶長日件録」が提供されている。
その記述の中には、細川家の動きが垣間見える。その内容をピックアップする作業を始めた。年表に反映させようと思っての事である。
例えば次のような記事がある。
慶長六年九月十三日: 従羽柴越中守有使之 嫁娶日取所望之由也 使松田七左衛門也 陰涼軒同途也 則撰吉日遣也
息忠利の結婚は十四年であるが、これは何方のことだろうか? 等と考えると、この一行の持つ意味が深く思える。