日本の暦が太陰太陽暦から現在のものになったのは明治5年11月9日の「改暦の布告」によってである。
その年の12月3日ヲ以テ明治6年1月1日となした。
永い間太陰太陽暦に親しんできた人たちの戸惑いは大変な物であったろうと思われる。
現在の宇城市小川町に昭和30年までに小野田部村があった。(益南村→小川町→宇城市に合併)
この小野部田村出身の岩崎孝氏の話として次のような話(昭和27年)が残っている。
明治初年太陽暦に改まり盆会も新暦で行くと云はれ小野部田村辺の歌
太陽暦ハ新暦二テ略シテ新トモ云ヒ
太陰暦ハ旧暦ハ旧暦二テ旧トモ云ウ
「村長が新(死)でしまへと云ふけれど
灸(旧)でもすへて生きたがよかろふ」