ひ城を渡し可申由御詫言申尓付城を御受取被成候縫殿助
儀は大将分尓て田邊の御城を責申尓付切腹被仰付候なり
一、丹後田邊城攻寄手衆
小野木縫殿助 石川備後守 谷出羽守 川勝右兵衛
藤懸三河守 長谷川鍋 高田河内守 毛利勘八
早川主馬 中川修理 竹中源助 杉原法規守
別所豊前守 小出大和守 赤松左兵衛 山崎左馬助
木下右衛門太夫 源仁法印 生駒雅楽頭 御使番二人
惣人数壱萬五千余
本ノママ
一、田辺御籠城の印
寺井吉右衛門 荒木善兵衛 日置善兵衛 丸山助左衛門
加藤新助 大塚源次 松山権兵衛 佐野三之允
加納曲斎 麻生喜左衛門 神戸喜右衛門 坂井半助
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寺井道運 村野庄助 久代右近右衛門 大野源十郎
築山五右衛門 上羽小右衛門 山本三郎右衛門 矢野七助
中村甚左衛門 上原甚七 上林助兵衛 上羽新兵衛
岡本新兵衛 三戸屋四兵衛 北村石見 宮部市左衛門
北村甚太郎 入江淡路 北村勘三郎 前田七郎右衛門
宮村出雲と改名
箕田甚之允
不分明二カ三カ也
右は絵図之表各付有之面々合三十 ○ 人
外尓 嶺山衆各 宮津衆各
一、忠興公籠城之衆へ被遣候御書之写
時廿日亀山迄今着候処尓城可相渡由尓候へ共徳善院事
尓候間可成程馳走可申と様子内府へ申入候其御返事次第
可下無候扨々二度逢候ハん事爰とのミ思ふ事尓て面々
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籠城さへ寄持と存候尓かゑきそものよし無比類尓
けおち候やつはら餘りの事尓にくけなくおかしく
候恐々謹言
九月廿一日 越忠興
宮津にて
籠城之衆中
昭和九年八月十九日一夲を以て校合シ了ル 上妻博之記
(了)