天草島原の乱に於いて、天草四郎の小屋に火矢をいかけたとして、忍びの者吉田助右衛門の子太郎介が褒賞を受けた記録である。
忍びの者であるという証拠は以下の如くしっかりしている。
■ 消息:寛永五年六月廿六日「日帳」
吉田助右衛門尉子、太郎介(ママ)・弟十介弐人共ニ、昨日助右衛門 御前二而、子ハ無之哉と被成御尋候間、
これ/\御座候由申上候処二、急度御礼申させ可申候、かちの御小性二めしつかハれ可申候、くミはいつれ
へ成共、助右衛門尉希望次第ニ入可申旨にて、今日御礼申上候、御礼取次ハ式ア少輔殿(松井興長)也
■ 吉田太郎助 切米人数 十石三人 (於豊前小倉御侍帳)
■ 覚
一、しのびの者今十五人程度抱度由申候何そ役可在之候哉
寛永拾年九月十日
■ 一、十五人しのひ之者抱たし候と助右衛門尉ニ可申候 切米拾石ニ三人扶持にて可然候以上 御印
一、なにもしのひ之者何にても助右衛門尉相談候而召遣可申候以上 御印
いろんな活字化された資料からでも、一つ一つ記録を積み上げていくと、こんな文書に出会ったとき裏付けと成って飛び上がるほど嬉しくなってしまう。