細川家には二流の郡家がある。
一つは(1)幽齋の兄・三淵藤英のながれ、もう一つは(2)細川家にとっては喧嘩仇の上野大和守秀政(養子 将軍義昭臣・堀孫八郎)系の郡家である。
いずれも郡主馬宗保に関わりを持つ両家である。
(1)の郡家の先祖附は歴代の先祖を三渕掃部頭・伊賀守晴員、大和守藤英(細川藤孝・幽斎実兄)、弥四郎秋豪、伯耆守藤利、縫殿助(藤利嫡男)、弥四郎藤正(藤利二男 入道形庵)と記す。
藤正は「忠利代豊前に召寄られ、其後徳川秀忠直参五百俵 綱利代召出され寛文六年江戸にて五十人扶持 翌七年肥後下国 元禄七年七月十八日歿・八十五歳」(肥後藩・主要系図に依る・以下同)であり、その嫡子・夷則、氏政(源五左衛門 則入)を細川家家臣・郡家初代としている。
細川幽齋の実家・三淵家に連なる名家で家老を輩出している。しかしながら郡という名跡は、忠興の側室松の丸(藤)の父・郡主馬宗保からきていることは明らかである。又、藤の妹・慶寿院が秋豪の次弟・光行室であり、その子藤利が嫡家を継いだ。忠興の愛妾・藤の実家郡家はこうして細川家に名を残している。
+--三渕藤英---+--秋豪===藤利-------+---尚正・・・・・・・・・・・→徳川家臣・三淵家
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| | +---藤正---氏正正・・・・・・・→細川家臣・郡 家
| +--光行
| ∥-----藤利
| 郡宗保---+---慶寿院
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| +---藤・松の丸(松井興長室・古保生母)
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+---細川幽齋-----忠興---忠利
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+---三淵伊賀守好重 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→細川家臣・三淵家
(2)の郡家は(1)の郡家とはまったく血縁はない。細川家にとってはまさに喧嘩仇の将軍義昭の寵臣・上野大和守秀政がその祖である。
「上野は当家に対して敵なれは、家号を改めよと被仰、郡主馬名字をあたへ郡勘右衛門と名乗候なり 」とある。
足利義昭
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+---上野清信---+--●
| | 堀孫四郎
+------● +==大和守秀政
∥ ∥------------------郡勘右衛門門・・・・・・・・→細川家家臣・郡(勘右衛門)家
槙嶋玄蕃頭昭光(云庵)---●