先に■昭和49年初版「航米記」を読む を書いた処、同時期の航欧記である「文久航海記」があることをAA様からご紹介いただいた。
そしてこの本の原作者ともいうべき人(著者は孫)が三宅秀(東大医学部の初代学部長) であり、その先祖をさかのぼると三宅藤右衛門重元の子孫であるとのご教示であった。
この「文久航海記」をググっていたところ、あのスフィンクスをバックに居並ぶサムライの写真があった。
私は「維新前夜―スフィンクスと34人のサムライ」という本を持っているが、それがこの写真の本である。
そしてスフィンクスの肩のあたりに登っているのがほかならぬ三宅秀(ひいず)なのだそうである。
(ご連絡を頂いてからまだ荷が開かれていない段ボール箱を開いて探しているが、未だ発見にいたっていない。)
「文久航海記」については「日本の古本屋」から早速購入の手続きを取った。
処でこの三宅秀は次のような関係で三宅一族であることが判明した 。
細川忠興
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明智光秀---+--ガラシャ
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+---女
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出雲---弥平次(明智左馬助)---藤兵衛---+--藤右衛門---+--藤兵衛---・・・・・・・・・・・・(細川家家臣・三宅平太郎家)
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| +--伊兵衛---+---重安
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| +---女
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| +---女
| 島原住三宅姓 ‖
| 休庵---元哉---+---玄碩---英庵---艮斎--秀
+---徳助重信 | (休庵は三宅猪兵衛娘婿 2020:4:24修正
| +---文泰 AA様のご教示による)
+---加右衛門重豊
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+---新兵衛重行---新兵衛---九郎兵衛重房---権兵衛--・・・・・(細川家家臣・三宅新十郎家)
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+---庄之助(左京?)
尚、三宅秀氏以降の歴代についてAA様から次のようにご教示いただいた。厚くお礼申し上げる。