久しぶりの日本人横綱・稀勢の里の誕生で相撲人気が復活したようだ。宇良などというとんでもない技を駆使する小兵力士も魅力的だ。
熊本にはかつて相撲の神様・吉田司家があったがせいか、結構相撲が根付いている。
栃光以来大関以上の力士が誕生しないが、関脇・正代に大いに期待している。
かって細川藩では、家老松井興長が若い藩主・綱利の相撲好きに対して諫言したことがある。酒や贅沢な浪費を含めてのことだが、「細川家をお暇する」とまで言わせている。綱利公の相撲好きは本物で、熊本のお墓の横には二つの力石が置かれているが、80キロあるというこの石を持ち上げて自ら体を鍛えておられたらしい。
そうなると民間においても流行することになる。藩庁はこれを取り締まるのに躍起となるが、これは追い掛けっこ状態であったようだ。
「熊本御城下の町人・古町むかし話」に「相撲取り取締り」という一文がある。
在の者が近年猥に相撲取りになり、百姓に不似合な風俗をするが、これは町の者とても同じこと。
在中に対しては御郡代から惣庄屋へ詳しく示建に及んだとて、文政三年三月熊本の町々へも触れを
出した。御郡代の達左の通り
町在の者共、力量これあり角力取りに相成り申度の親類五人組村役人も、故障これなき筋の願出
候者は、とくと相糺し其様子に応じ差許され候との儀については、去る文化十年(七年前)委細
に御達しに及び置候処、然る処近来在中に於て聢と力量これなき者共も無願にて内分角力取に相
成り居り候者もこれあるやに相聞へ、間には前髪立て或は異躰の衣服提げ物等御百姓に不似合の
身なりいたし候者これある様子相聞こへ、村役人衆も等閑に押し移り置候にてはこれなくや、彼
是れ不埒の至りに候、之に依っては以来左様の者は村役人より屹度差留め、もし承引致し申さゞ
る者もこれあり候はゞ、各手先へ達せられ候様、左候はゞ速に召取り慎方申付置相達せらるべく
候、右の趣庄屋村役人は申すに及ばず小前々々へも洩れざる様屹度達しに及び置かるべく候
三月 御郡代中
御惣庄屋中
さて私は以前、熊本郊外の県道沿いで見つけたお墓の写真をご披露した。 ■Wanted 八重櫻新左衛門
何とも怪しげな名前に首をかしげたことであったが、若い友人N君が早速情報をもたらしてくれた。
なんとその業績を紹介する刊本があった。これによると新左衛門は庄屋を務め、一方では相撲取りという人物なのだが、422間に及ぶ揚排水路の建設をし、20町の水田開拓を完成させた偉人であった。
つまりは上のお達しに該当する人物なのかもしれないが、これだけの偉大な実績があるとこれは例外であることは間違いない。