津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「土佐の龍馬肥後の小楠」展

2017-03-25 09:27:19 | 展覧会

                         土佐の龍馬、肥後の小楠

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■定彦さん、順養子なるか

2017-03-25 08:04:29 | 徒然

 先日ヤフオクで一通の文書を落札した。これは長岡(米田)監物から三渕永次郎・松井典禮・坂崎忠左衛門に宛てた書状の文案らしい。
控書に「 文化十四年七月十日典礼へ差越扣」とある。出品された折の紹介写真から、某家の養子話のもつれらしいことが推察された。
下世話な話が大好きな私にとっては何とか入手したいと思い、頑張って落札した。
米田家に関する書状類が大量にオークションにかけられているが、代々家老を務められた家であり、公私さまざまな文書が見受けられる中、
今回落札した書状はまさに「私」の部分で、養子縁組や婚姻による複雑な家の成り立ちを窺い知ることができる。
かなりの長文で読み下しには相当な時間がかかるが、順次ご紹介できたらと思っている。

「定彦」なる人物が主人公だがこれが何方かとんと判らない。
内匠なる人が言うには、定彦を順養子にすることで内決したが本人が「得心無之」、隠居の方からも「追々勧メ」たが同様だというのである。内匠とは文化十四年の朽木家の当主であれば八代・昭吉だと思われる。この人物は婿養子であり実は長岡(松井)営之の末子である。隠居とは七代当主で養父の昭恒、この人も養子で郡織衛の四男である。
「順養子」とは 弟が実兄の養子となること。また、その養子。
       2 ある家の養子となった者が、その家の弟を自分の養子とすること。また、その養子。
つまり朽木昭吉(内匠)は養父の実の子である弟に跡を継がせようと考えたのであろう。実父である隠居も説得したが得心しないというわけである。そこで長岡監物にも直に諭して欲しいというわけである。
ところが「細川藩・主要家臣系図」で朽木家の系図をみても、この「定彦」なる人物が見受けられない。
但し、同じく養子で病身のために実方に引き取られた細川和泉守伯父「昭信(左膳)」と、「某・右七郎」という兄(これは七代の実子らしい)が記載されている。

内匠昭吉は八代・長岡(松井)営之の末子だが、松井家分家五代当主・直記も営之の子であり、いろいろな人間関係が複雑に入り混じっている。

次の項の書き出しには「朽木家之血脈者典禮殿御兄弟并定彦殿方江有之由・・・」とあり、どう展開していくのか興味が尽きない。 

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