先の■「つづら林」という地 で触れた「蔦木ノ森迹」に宗厳寺に関する情報があってびっくりしている。
宗厳寺はわが家の初代の姪にあたる人が創建したお寺であることを知ったのは、まったく偶然が重なっての事だった。
■消えた宗厳寺
■驚愕の事実・・長五郎の娘・くま
■平川家略系
■驚くべき偶然
「肥後名家墳墓録」にもあるように、一時期「岩立」の地にお寺はあったらしい。
その場所を探しあぐねていたが、今回の「つづら林」の地を詮索していて偶然にもその場所を探し当てた。
すなわち「肥後国誌」にある「蔦木ノ森迹」である。
宇土小路ノ乾ノ隈(隅ヵ)往昔雚木ノ森トテ森樹アリ 初ヲ知ラス 赤尾口ノ西ニ當ル 因茲テ岩立ノ田地異名ヲ蔦木ト称ス
寛永年中安國寺梵徹蔦木ノ森ヲ剪拂ヒ地ヲ夷ヲケテ宗厳禅寺ヲ建テ末寺トス 而後寛文十三年住持天和尚願ニ依テ當郡津浦
船場村ニ寺ヲ移ス 當時船場村永嶺氏在宅上ノ段ナリ 今ハ坪井町ニ移レリ 本尊ノ観音今ハ岩立ニ有テ里俗運清観音ト云 岸下ニ清泉 今ハ柳井
氏屋敷ニカゝレリ此處ヨリ坂道アリシト云 アルヲ闕伽トスト云 其後又宗厳寺ヲ坪井ニ移ス
宇土小路ノ乾(北西)ノ隈(隅=角)とはどこなんだろう。赤尾口の西であればまさに「つづら林」ではないのか?
これは一度訪ねなければならない。