一七八
一手取米乍少々宛増方被仰付候付て、只今迄地廻勤方造用
等相渡候分被差止候事
一御供又は臨時之御用ニ付出在御知行取、當時迄御扶持方
ハ相渡不申、其時々之見合を以造用銀渡來候へ共、向後
造用日指止、旅詰之見合を以、一宿以上は向方逗留之日
數書付、頭々より御勘定方御奉行へ可被相達候、左候て
印紙は銘々御切米所へ可被指出候事
但、御中小姓已下も御供之節は、御知行取之見合を以
相應ニ御扶持方日渡下筈候、御供之外臨時之御用ニ被
差出候節は、今迄之趣を以可被渡下候、且又出在之節
之加扶持等、近年日減置候得共、以前之通被渡下候事
一在宅引出銀は今迄之通被渡下候事 引出=在宅していた者を職務などにより府中に呼び返す事
一正月より七月迄之内御役付被仰付候ヘハ、只今迄は手取
米月割を以被渡下候へ共、以來は七月以前御役付被仰付
候ハヽ、前暮より之御役付手取金被渡下候事
一御足高幷御役料之儀は今迄之御格之通、其暮より相渡前
暮分は相渡不申筈候事
一銀納之儀、銀錢無差別、下方勝手ニ納方被仰付、御家中
え之銀渡も右納方を以被渡下候ニ付、其時々之納次第或
ハ銀或ハ錢を以被渡下儀ニ候得共、旅詰ニ被差越候節之
渡りは、都て銀を以可被渡下候事
右之趣兼て為心得可申達置旨候、以上
寶暦八 十二月廿日
一七九
一都て道中往來之面々、人馬先觸其寫道中御奉行え差出
候様
東海道先觸
一何疋 本馬 一何人 人足
右は、拙者儀江戸え罷越候付て明何日伏見罷立、東海道
何日之日積を以罷越候間、右人馬宿ニて支無之様、尤
此先觸問屋/\ニて印形を被用無遅滞順達頼存候、若川
留等ニて右日積難罷通候ハヽ、其宿より猶又可申達候、
以上
何ノ 何月何日 一一内何之何某・印
何月何日
伏見
一一
一一
右之宿々問屋役人中
一右人馬先觸之儀は東海道・中山道・日光道中・奥州道
中・甲州道中右五海道幷水戸・佐倉道往來之儀ニ付、
右道中筋より發端は夫ニ應、郡方有之筈候事
一川支等ニて日積違候節は、其所より先觸仕出可有之候
事
一馬一疋、人足一人たり共先觸無之候てハ滞申由候事
一右先觸之寫、以來道中御奉行様え御達ニ相成候間、江
戸着之上無間違様相調、江戸御役所え可被相達候事
一江戸より罷下候節も右ニ准、先觸仕出有之、其寫相調、
是又江戸御役所え可被相達候事
十二月
一八〇
一總州小金一月寺・武州青海鈴法寺門弟共相用候深編笠、
在々ニて商賣仕候者共、両寺又は國々其最寄ニて、右末
派之寺院より印鑑受取置、合印持参夫致候ハヽ虚無僧幷
商人たち共堅賣不申様可致旨、御料ハ御代官、私領は領
主・地頭より可申渡候
十月
右人馬先觸等之事両通、十二月晦日公義御觸添書御達
寶暦九年
一八一
一江戸御供之面々勝手支ニて之願難叶、不慮之物入無據様
子も有之候ハヽ、其程ニ應御心付らるへく、相勤兼候程
之面々は、於此所御断申上候様、正月廿一日御達之事
一八ニ
一金銀掛合之分銅、寛文年中改以前之古分銅賣買等難成旨
候處、西國ニては古分銅多賣買いたし用候由ニ付、後藤
四郎兵衛方へ差出候様、右四郎兵衛役人相廻、紛敷分銅
は取上候筈候旨、寛保年中御觸有之、猶右役人相廻取上
可申段、公義御觸、五月朔日御達之事
一八三
一借金銀返金相滞、御裁許之通不相守、切金員數甚不足ニ
差出不埒ニ付、屹相心得候様、其上不埒之輩於有之は、
武士方は御奉行中より御老中え御達被成筈之段、公義御
觸置候事、六月九日御達
一八四
一胤次殿御名字之儀、先長岡と御定被為置旨候、此段可被 胤次→重賢公二男、後治年公
承置候事
七月
一八五
一泰勝院様百五拾囘御忌御法會、來ル十九日より廿日迄於 泰勝院→細川幽齋公
泰勝寺御執行二付、諸事相慎穏便仕、火用心彌入念候様、
尤御寺詰之外参詣に不及。譯有之御征月御寺参詣被仕來
候面々は、御法事濟参詣仕候様、八月十三日御達之事