一九四
一衣服御制度年限之儀に付、別紙書付御用番有吉大膳殿被
相渡候間、為心得書付相渡候、御制度之通被相守候儀勿
論之事ニ候得共、別紙之通候間彌以家内幷召仕之者迄心
得違無之様委心を加被附候、此段別紙名付之面々え御通
達、觸支配方へも寄々可被申聞置候、以上
二月日
一衣服御制度之内、去ル丑年限・去辰年限は差別を以御免
被置、今年よりは都て相改候儀、先年被仰付置候年限之
通候得は、猶又此節不及沙汰事候へ共、一統相改候年柄
之儀に付、觸支配方えも心を付可被申候、以上
二月日
一九五
一近來熊本内紛敷躰之者夜々致徘徊、狼藉等敷事も間々有
之様子ニ候、定て烏亂者二て可有之候條、御家中家來迄
心懸候様被申付、右躰之者見逢候ハヽ打倒搦候て、奉行
所え可被差出候、假令刀指たり共不及遠慮候
一御侍中は不及申御家人或ハ家來/\二至迄、夜中たり共
頭巾等二て頭面を隠し候躰有之候てハ、烏亂躰之者押候
節紛敷候條、右躰之かふり物仕間敷候、右之趣觸支配方
へも可有御沙汰候、以上
二月十一日
一九六
一江戸詰之内御門札を以出入有之面々、私用を辨候為一ヶ
月両度宛外出被成御免、朝六時より夜五時迄刻限被仰付 明六ッ時(7時)~夜五ツ時(21時)
置候處、以來一ヶ月ニ三度宛被成御免、刻限は今迄之通
御定被置候、尤用事相重萬一右之刻限難罷歸、或ハ方角
次第朝六時前より外出有之度面々は、同列/\より御門
答之儀御役所え可被相達候、勿論前日より罷出翌朝歸り
明ヶ答之儀は難叶候事
一御使者其外就御用罷出候面々御門御答之儀、今迄之通相
心得、何方/\え御使者又は就御用何時より罷出候との
儀書加、可被相達候事
寶暦十一 二月廿八日
一九七
一來ル十三日、於御花畑公義御條目之寫拝聞被仰付候間、
別紙之通朝上下着相揃候様、當番之面々は罷出候ニ不及、
留守火用心入念候様、四月六日御達之事
別紙は、御備頭より組不入御中小姓迄朝五ッ半時揃、 朝五ッ半→9時
御奉行所根取より歩御小姓同列幷諸役人段迄四ッ半時 四ッ半→11時
揃
一九八
一大きなるたつハ揚不申候様先年相觸候處、近年心得違之 たつ→凧 熊本の大凧あげ
輩も有之様子ニ候、畢竟先年尺寸之定不相觸故ニて可有
之候、以來貮尺以上之たつ堅揚申間敷候、萬一此上心得
違之輩有之候ハヽ急度可遂吟味候條、此段觸支配方えも
可被相觸候、以上
四月七日 奉行所
一九九
一御巡見御衆御越付て、道筋掃除等、外向窓塞キ或は罷出
不申様、火用心等、御道筋且其節在宿慎等之儀御達之事
五月十五日
二〇〇
一楠木は諸御郡御家中屋敷其外共、御用次第相應之代銀被
渡下可被召上候間、大木は不及申、小木共入念仕立候様
但、立山等之立木剪被拂又ハ間引剪仕候節ハ、其趣御
郡代へ達有之筈候處、間二は間違之儀も有之趣相聞
候、能木は勿論雑木二ても右之通候條、彌以間違無之
様
寶暦十一 五月廿六日
二〇一
一來ル十四か五日之中、御巡見衆御城下御通ニ付、祇園社
御祭禮被差延候段、六月十一日御達
二〇二
一太守様盆御機嫌能、去ル十六日依召御登城被遊候處、太
御所様御靈屋於増上寺有章院様御相殿被仰付候二付、御
靈屋御修復幷御寶塔御普請御手傳被仰付旨、御老中様御
列座秋元但馬守様被仰達候由申來候、此段觸支配方へも
相知せ可申旨御用番被申聞候間、例文
寶暦十一 六月廿八日
右之儀二付此元二おいて勤之覺
一太守様え御物頭同列便状差上、此元二おいてハ御中小姓
已上麻上下着、來ル三日御家老中宅廻り之儀、御小姓頭
より申來候段、七月朔日御達
出典:長崎大学付属図書館(昭和20年焼失前の有章院霊廟)
二〇三
一支配浪人幷譜代之家來等支配を放、或ハ暇を出候類は前
以之達二不及、被申付候上、何方支配相成候との儀御奉
行所之内え可被相達候
但、支配之浪人幷譜代之家來又は給地之百姓等不届之
儀有之、追放被仕度面々は今迄之通前以可被相願候、
且又御城下幷住所を構被申度面々も、以來前以可被相
願候
寶暦十一 八月十四日