山鹿素行という人は「殉死」に対しては批判的な人であったという。
彼の著「山鹿語録」に細川忠利の死後、阿部弥一右衛門同様殉死すべき人物と陰口をたたかれた人物について取り上げている。
加々山主馬可政の次弟・加々山(奥田)権左衛門なる 2,080石を領する上級家士である。
彼の著「山鹿語録」に細川忠利の死後、阿部弥一右衛門同様殉死すべき人物と陰口をたたかれた人物について取り上げている。
加々山主馬可政の次弟・加々山(奥田)権左衛門なる 2,080石を領する上級家士である。
主人へ殉死致さずと云て、其家中にあしく云けるもの多かりしものあり。此者、主人の忌日に惣家中寺へ参詣仕りけるを、用所候
由にて留め置きて、惣衆相あつまれるとき罷り出て申しけるは、私事殉死仕るべきことなりと、此座中に入来候歴々にも御沙汰こ
れあるの由承り及び候。定て殉死仕るべき子細を御存じにてこれあるべし。吾等ことは殉死仕り御奉公に罷り成るべきの見付けこ
れ無く候。主人御取り立てのものは必ず殉死いたすはずと計の儀は、我等合点には及ばず候ゆへ殉死仕らず候。唯今にも其道理を
承り届けば、御奉公のことに候間、則ち殉死仕るべしと云けるに、座中一言の返答にも及ばざるに付きて、(後略)
此のごとく理りを尽すの処、とかくの仰せもこれなき上は、定めて各の御沙汰にてはこれなくと見え候。此上は、已来うしろにて
殉死の批判あられん方は、侍の本意にあらざる間、この心を得られ玉はれ。
まことに小気味よい話で、こう詰め寄られると陰口をたたいていた人たちも口をつぐまざるを得ない。
阿部弥一右衛門は殉死を選んでいるが、こちらは庄屋あがりの大出頭の人であったから、陰口もさることながら自ら深く思うところがあ
ったのであろう。
私は弥一右衛門の殉死と阿部一族の誅伐事件は別のものとして考えるべきだと思っている。
後者は嫡男・権兵衛の不届きなる行いによって引き起こされたものである。