月が替わったので九月の和名「長月」で俳句を検索していたら
長月のますほの小貝包みをり という中島陽華という方の句を見つけ出した。(掲載誌「槐」・2001年1月)
「ますほの小貝」というと、私は心友・エッセイスト近藤健氏のエッセイ「増穂の小貝」がすぐ思い出される。
(私は氏の著書「肥後藩三百石米良家」の出版にあたり、いささかのお手伝いをした)
氏は京都の大学の三回生(昭和56年)であったときに、故郷・北海道様似に帰郷する道すがら、作家・福永武彦の随筆集「遠くのこだま」にある、能登半島冨来を題材とした「貝あわせ」に登場する「湖月館」を訪ねておられる。
その時のことをエッセイとされたのが「増穂の小貝」である。
福永武彦が「むすめむすめした若いお嬢さん」と書いた、湖月館の娘さんのことを思い出し、金沢から二時間ものバスの旅を経てこの町にたどり着くとその旅館に電話を入れ、懐具合と福永の「貝合わせ」のエッセイのことを話して宿をとっている。
文学青年の淡い恋心にもにた、そんな純粋な行動をエッセイにされたものが、文芸春秋社発行の「日本エッセイスト・クラブ編」の2009年のベスト・エッセイ集に掲載された。残念ながら廃刊となったが、氏は4回にもわたりプロの名だたるエッセイストに伍して掲載の栄に浴された。
西行法師の歌「潮染むるますほの小貝ひろふとて色の浜とはいふにやあらむ」における「はすほの小貝」という言葉は、近藤氏の「増穂の小貝」とは意味も場所も異にしている。
松尾芭蕉の「小萩散れ ますほの小貝 小盃」も同様で、西行の歌にもある敦賀市の色の浜であることは良く知られている。
「ますほの小貝」は場所を特定しているのではなく、「美しい淡い赤い色の小貝」という意味に解されているらしいが、最初にご紹介した中島様の句も同様の解釈によるものだと思われる。
福永武彦氏や近藤氏の「増穂の小貝」はまさに、石川県志賀町の富来の旅館「湖月館」と「増穂の浦」を舞台にしている。
増穂の浦では「美しい淡い赤い色の小貝」に限らず、数十種のいろんな色の小貝が見つかるらしい。
「ますほの小貝」は増穂由来のものなのではないかと考えたりしている。
旅館「湖月館」は本年の元旦の日に起きた能登地方地震で大被害を蒙られたらしい。以前の地震の際も被害を受けられたらしいことを近藤氏からお聞きしていた。
再建の道もなかなか険しい状況にあることを「中日新聞」の記事で知った。湖月館の皆様に熊本地震の地からささやかなエールを送りたい。
大暴れをした海もいまは穏やかな表情で、増穂の浦に色とりどりの小貝を打ち上げていることだろう。