四日の日、熊本でひらかれる従兄弟会に出席されるために東京から来熊された、細川藩士・T家のご子孫にお目にかかり、一時間ばかりお話をした。
史談会の会員で心友であった故S氏と御親戚で、思い出話も含めて色々お話をしたが、氏のお話の中で細川家の江戸勤番侍が亡くなるなどのことがあった時に葬られたお寺にお詣りされてことなども話題になった。
細川家の菩提寺の東海寺の中にある「少林院」のことだと思うが、東海寺のあたりはすっかり高層マンションなどに様変わりしているようだ。
資料を調べていたら今日の日付の次のような史料に出くわした。配置図も掲載していたので再掲しておく。
少々お見苦しいがご容赦下されたい。我が先祖で江戸で死んだ者はいないが、江戸から帰国中瀬戸内で死んだ人がある。
下男が付き添い遺骸は無事熊本に帰った。
七九四
一江戸勤番之面々死去之節、所々之寺院え葬送有之候處、
遠路之事ニ付、其子孫之内江戸詰等無之候得は墓参も出
來兼、年隔候得は墓所等分兼候儀も有之由、不便之事ニ
被聞召上候間、非常御儉約中なから相應之寺院、永代御
借受、御家中惣墓ニ被成下候ハヽ、永々墳墓等分兼候様
なる患有之間敷被思召上候旨被仰出候、依之今度東海寺
中少林院・白雲庵両寺へ御頼ニ相成候間、近版之面々之
内若不幸有之候ハヽ、御中小姓以上小林院、足輕以上は
白雲庵へ懸合、勝手葬送いたし候様、且宗旨違たり共不
苦、勿論望次第他之寺院へ致葬送候儀は、勝手次第之事
ニ候、此段一統及達置蚊申旨候條、左様御心得、御支配
方えも可有御達候、以上
定府之面々は、本行之患無之候得は、依望は主人
/\ハ本行両寺へ葬送いたし候儀不苦候
一若不幸之節、本行両寺之内ニ葬送有之度候ハヽ、
其段御役所へ申出有之次第、御寺へ申向之紙面相
渡蚊申候
一右葬送ニ付て之懸合筋、向後諸付届物等は都て妙
解院納所へ仕向有之候様
但、葬式料之儀、寺納之員數少分ニても、其程
ニ應葬式勤方有之由ニ付、此方より懸合次第取
計有之筈候、追々之振合も可有之候間、其節ニ
臨、得斗納所へ申談か有之候
九月七日 江戸詰御奉行中