津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■山崎隼雄宛て知行宛行状その他

2024-09-26 10:55:46 | オークション

         熊本十代藩主が家臣 山崎隼雄に与えた150石の知行宛行状と知行目録の2部

■山崎半十郎 (南東35-13)家・10代隼雄に関する知行宛行状だが、この宛行状の存在は既に知られていて、松本寿三郎先生の著「熊本藩御書出集成」に「10、隼雄宛 斎護公御書出(文政九年)百五十石・山崎隼雄知行目録(文政九年)」として記載されていた。
隼雄の孫が12代で肥後宏道流三代、肥後六花「肥後山茶花」の祖貞嗣であり、その貞嗣の孫が「東肥花譜」「熊本文学散歩」などを著された山崎貞士氏である。
これは以前にも出品されてきたが「不落」が続いている。

 

    

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■宮本武蔵の300石は堪忍分

2024-09-26 08:42:10 | 史料

宮本武蔵の知行に係るいくつかの資料が残されている。

 一、宮本武蔵ニ米三百石遣候間可相渡者也
   寛永拾八年九月廿六日 御印
                  奉行中

 この年の三月十七日に忠利が死去しているから、この指示書は光尚によるものである。
 前年忠利は以下のような指示書を発している。これをみると光尚は忠利の意向を踏襲していることが判る。

 一、宮本武蔵ニ米三百石遣候間佐渡さしづ次第ニ可相渡候
   以上
     寛永拾七年十二月五日 御印
                  奉行中
 又十九年には同様の指示所が発せられているが、「堪忍分の御合力米」と申すようにと伝えよと指示がある。
 「合力米」と「堪忍分之御合力米」との違いがまだ呑み込めないでいるが、合力米(ごうりょくまい)とは「施し与える」米であるから、より穏やかな「堪忍分」の表現をするようにとの気配りであであろうか。

   宮本武蔵ニ米三百石遣候間可相渡者也
   寛永拾九年十一月八日 御印
                   奉行中
    宮本武蔵ニハ御米被遣候時御合力米と不申唯堪忍分之
    御合力米として被遣候由可申渡旨奉七郎右衛門  

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