津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■見つからない大事な冊子

2024-09-23 08:56:07 | ご挨拶

 土曜日の熊本史談会に於ける、熊本博物館の下高大輔氏の「熊本城を考古学する」の講演は、誠に興味深いものでった。
先の熊本大地震の被害ならずとも、熊本城の石垣は度々崩壊を繰り返しているが、その都度修復が加えられてきて現在にその姿をとどめて居る。
つまり、加藤時代に於ける築城時の姿は、細川時代の拡幅による石垣の築造、崩壊・修復による変更などにより元の姿ではないことを認識すべきであるとの御説は、誠に当たり前のこととはいえ認識を新たにするものであった。
一つ二つ質問をしたいと思ったが、ほかの方がニ三人手を上げられたため、時間切れの状態になり私の疑問は持ち越しとなった。
というのも、資料をお示ししてお伺いしたいと思っていたのだが、その資料(かって■熊本城宇土櫓の石垣・・?で使用した絵図)が行方知れずなのだ。
熊本城の石垣の各地点の高さやその勾配などが事細かに測量されている小さな冊子である。
その冊子の名前さえ思い出せないし、本棚を隅から隅までさがしても姿を現さないから、どこかの資料袋に放り込んでいるのだろう。
熊本城の縄張りについては、「御大工棟梁善蔵聞覺之控」のなかでは、善蔵は「茶うす山の図引きとなつたときや、岩野のお武家で宗久隆さんがこの役になんなはったばい」と記録させている。岩野の御武家とは岩野嶽道祖城の城主であり、かっては本山城の城主でもあった宗氏のことである。
私がお聞きしたかったことは、大天守石垣の地山(茶臼山)と石垣の関係なのだが、先の資料なしでは言葉ではなかなか表現しがたいから、質問は躊躇してしまった。
なんとかこの冊子を見つけ出して、博物館に下高氏をお訪ねしてお聞きしてみたいと考えている。

 

 

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