いつもお世話になっている光永文煕先生の著「平成宇土・細川家系譜」は、我が座右の一二を争う史料である。
第五版が平成九年十月に自費出版(350部)された。その一部を所蔵している。
この版で加えられたのが重賢公や興文公についての詳しいエピソードである。
その一部に「補記」があり、少々興味深い一文が有る。
「宝暦十一年十二月ノ覚書ニ、茶色ノ色鉛筆ヲ用イテ図ヲ描キタルモノアリ、マタ鍵ノ使イ方ニツキ図示スルニ黒色ノ鉛筆ヲ使用セリ」
これは光永先生が書き込まれたものと思われるが、鉛筆・色鉛筆が日本で使い始められた歴史からすると、少々疑義を感じざるを得ない。
しかしこれが本当だとすると、「色鉛筆」などはその歴史を覆すことになる。( レファレンス共同データベース・色鉛筆の歴史が知りたい 参照)
問題は宝暦十一年十二月の覚書なるものの存在である。拝見したいものだが、果たしてどこにあるものやら・・・・・
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