鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

イエスの血は、この世で罪を代償する

2005年09月03日 | 春平太チャペル


牧師の皆様、ひいては、クリスチャンのなかには、
霊的な力を希求しておられる方がおられると思います。
人の病を癒したり、貧困の呪いから解放してあげたりする力です。
聖書には出来ると書かれているけれども、実際にはベニーヒンなど、
一部の人を通してでしか現れない。

 牧師をしていても、単なるクリスチャンをしていても、この世で苦しんでいる人によく対面します。
まるで拷問を受けているような苦しみの中にいる人もいる。
何とかしてあげたいと思いますが、力がないことにはどうにもならない。もどかしいです。
自分を通して力が現れたら、どんなにいいでしょうか。鹿嶋もそう思っています。


 そうしたなかで、希望を抱かせてくれそうな福音テレビ番組に、米国で出会いました。
登場した牧師さんの本を読みました。今日は、それをご紹介します。

 その人は、Larry Huch(ラリー・ハッチ)牧師です。
彼は麻薬密売人あがりの牧師です。著書は“Free at Last”といいます。


                    


 ハッチさんは、米国の貧しい地域に生まれました。家族は何代も、貧しいままでした。
貯金はいつもゼロのあたりを上下していました。
ということは、周期的にお金のない状態に追い込まれる経済状態です。
彼は若いとき、自分は経済的に余裕のある人生を送りたいと切望しました。

 そのために、一気にお金のはいる職業に就こうとしました。
まず花形のスポーツ選手になろうとしました。短期に多額のお金が入るからです。
だが、身体的限界にぶつかりました。

 そこで、麻薬の密売に手を出すようになりました。
それが徐々に高じて、南米まで行って密輸入をするという、プロにもなりました。
銃を抱いて眠るというすさまじい生活を送りました。


                    


しかし彼は、いつもいのちをねらわれる人生に疲れ果てました。そして、キリスト教に入信します。
教会では、イエスの十字架死の救いを信じることによって、人は救われ、
この世でも祝福を受ける、と説教していました。

ハッチさんは、経済的な祝福を受けたいと切望しました。
イエスが人類の罪の代償のために、自ら死んでくれた。
それによって自分たちは罪の許しを受け、救いを受けたと信じました。

 そして奥さんとともに、クリスチャンとして完全な暮らしを試みました。
主日には必ず礼拝に出席する。タイス(十分の一献金)も正確に行いました。

 ところが、彼と奥さんの生活は、一向によくなりませんでした。
彼は、なぜなのだ、どうしてなのだ、と聖書を探求しました。
 

                    


 そしてあるとき、イエスの血に関する旧約聖書の聖句に、特異な点があることに気付きました。

 旧約では、祭司たち聖職者が幕屋という聖所で罪の赦しを祈ることが、
創造主からモーセに命じられています。ユダヤ民族はその命令に従います。

 聖所の中に、至聖所という究極の祈りの場所とでもいうべき所があります。
そこには毎年、選ばれた一人の祭司が入ることが出来ます。
彼は屠られた子羊の血を、7度至聖所で降り注ぎます。
そして、この一年間にわたる、民の罪の贖いとするのです。これを、毎年行ってきました。

                    


 ハッチさんは考えました。

旧約聖書に書かれていることは、新約聖書に書かれている真理と対応している、といわれる。

 旧約聖書で血を流し、殺される子羊は本物であるイエスの影のようなものだ。
イエスを子羊でもってたとえて示している。

 だから、人の罪の本物の代償は、イエスである。
そして、旧約で子羊の血でもって人の罪を代償しているなら、その示しているところの本物の真理は、
イエスの流した血が人の罪を代償することである。

 子羊の血は、毎年流されねばならないが、イエスは本物だから、
その血は一度流されたら永遠に有効である。永遠の贖いの力を持つものである。

 人は救いを受けても、毎日罪を犯す。その罪が人に呪いをもたらす際の、悪魔の口実になる。
しかし、その罪を贖うのは、イエスが流した血なのだ。
そのことを強く主張すれば、悪魔は人に呪いを与えることは出来なくなる。
そのことへの無知が、悪魔の呪いを許してしまっているのではないか。


                    


そこで、ハッチさんは、イエスの血で自分の罪と呪いは代償されたのだ、
と祈りの中で主張するようになりました。

そうしたら、薄皮をはがすように、呪いから次々に解放されていった。
麻薬中毒、アルコール中毒、激怒症、貧困から解放されていった~~と彼は証言しています。

                    


<知らなければ真理も人を解放しない>

その体験から彼は言っています。
 「真理は人を解放する」というが、実態はそうではない。
 正確には「知った真理・理解した真理」がその人を解放するのだ、と。

彼は、牧師になりました。
そして、この方法で、多くの人を呪いからの解放に導きました。

 現在、米国に四つ、オーストラリアに二つ、教会を開き、運営しています。
オレゴン州、ポートランドにある母教会は、会員が5000人を超えるといいます。


                    


 彼は、テレビ番組も持っています。
テレビで彼の礼拝を見ていますと、礼拝終了後に、問題を抱えた人々が講壇に集まります。
彼は、一人一人、両手で頭を挟むようにして按手して祈ります。

 按手を受けた人が、必ず倒れるわけでもありません。
倒れる場合もありますが、ベニーヒン牧師のように次々に倒れるというようなとはありません。

 ところがそれで、信徒たちは、生活上の問題、呪いから解放されていくようです。
それで、教会に多数の人が集まっています。

 本日、鹿嶋は何を言いたいか。
 多くの人はベニーヒンのようなことは、とても出来そうにありません。
だが、そういう人でも、ラリーハッチさんのこの手法なら、できるんではないか。
それでもって、結果が出るというのなら、これは貴重な知識ではないか。~~これであります。


                    




コメント (2)
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