(前回の追加説明です。図はクリックすると拡大します)
鹿嶋が天の王国とこの地上の世界を対比して考えるとき、いつも頭に置いているのが「聖書の空間理念」です。
これまでにも提示してきましたが、ここでも改めて示してみましょう。
(どうしてこういう解読になるかは、鹿嶋『誰もが聖書を読むために』新潮選書、をご参照ください)
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創り主は空間的には無限者ですから、まず無限の広がりを持った空間があります。
その一部に創られたのが、天の王国、世に言う天国です。
これは広大ですけれど、創られた空間、すなわち被造空間です。
創り主はここに自らの「名」をおき、そこを聖霊で充たします。
霊は意識体でもあります。
だから、天国に満ちる意識は「聖(ホーリー)」ということになります。
創り主は、そこに無数の天使(御使い)を創ります。
天使は、創り主の名を「ホーリー、ホーリー(聖なるかな、聖なるかな)」と讃美しています。
ここは創り主が王として統治する王国で、王の定めた法に沿って完璧に統治されています。
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天の王国の、一部にごく小さな球体がありますね。
これがわれわれの住む、宇宙です。
ここはくらやみで、創り主に対抗するようになった一団の天使を閉じこめた牢屋でもあります。
天使は力ある霊ですが、彼らは軍隊のように組織化されています。
各集団には天使長がいて、そこに属する天使たちは、その長の命令に従って行動します。
命令系統で動く。まさに軍隊です。
イエスも、天使を「天の軍団」といっています。
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この天使長の一人が、あるとき天国で部下たちに自分を讃美させた。
これは、天の創り主の王国に、自分の王国を造ろうとすることですね。
そこで、創り主は暗闇の牢屋(宇宙)を造り、そこにこの一軍の天使たちを(他の天使に命じて)追い落とし、閉じこめた。
われわれの住む地球は、その宇宙の一部にあるチリのように小さな存在です。
そして、それは宇宙の中にありますので、基本的に宇宙と同じ性格を持っているわけです。
この性格が、俗(セキュラー)ですね。
俗については、世俗という場合もあります。
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これは絶対的な解釈ではありません。
これが絶対に正しいと言ったら教理主義になってしまいます。
そうではなく、こういう風に考えてみると、聖書の話が筋道だってくる、というだけのことです。とはいえ、「考える」には、何か一つの空間理念が必要でもあります。
鹿嶋の場合は、こういう風に「考えている」ということであります。
聖、俗という対比をみるときも、この空間図式に対応させて考えているわけです。