若者諸君。
聖書といえばキリスト教、キリスト教といえばイエス・キリストだよね。
イエスは、聖書の世界観、歴史観の中でどういう仕事をしてるだろうか?
ここで推測してみよう。
エデンの園を追放されたときのままだったら、人間は最後の審判の時どういう判決を受けることになるだろうか?
これを考えたら浮かんでくるだろう。
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人類はみんなアダムの子孫だったよね。
加えて聖書では、霊の資質は、父親を通して遺伝していく、という教えだ。
一本の木から枝出て、その枝からまた小枝出て行くよね。
人間の霊も、そういうイメージだ。
アダムの霊から、子孫の霊が次々に枝分かれしていくんだ。
だから人類の霊は、みなアダムの資質を持っていることになる。
つまり、最初から不完全充電になっているわけね。
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そして、ひとたび不完全充電になった霊は、もう完全充電には戻らない。
これは前に説明したよね。
そこで、もしも、人間の霊がエデンの園を追放されるときのままなら、どうなるか。
なんと、全員有罪で、火の湖行きだ。
もう、お先真っ暗。
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イエスは、そういう絶望的な状態の人間に、希望の灯火をもたらす。
そういう存在となって、アダムから4000年後にこの世に登場することになっているんだ。
イエスは、人間が天国に行かれる道を切り開く。
霊が不完全充電になって、自らの力ではどうにもできない人間だ。
これが、最後の審判の時、その霊を完全充電に戻す道を切り開くんだ。
次回それを、もう少し具体的に示すね。