鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

42. 五感認識で神秘領域を浮上さす

2018年05月05日 | 安全なキリスト教の学び方

 

 

さらに廻り道を続けよう。

迂回話は、目に見える五感経験の世界の話が多くなる。

信仰感覚を求めている読者には違和感があるかも知れないね。

たしかに、聖書が述べる世界は、つまるところは霊的世界だ。

五感経験の世界でなく、神秘の世界だ。

けれども、その前に五感経験の世界で理解できそうなことは、出来るだけやっておくのがいい。

 
 
 

<五感認識を進めても神秘は残る>

五感理解をすすめても、神秘領域はなくならない。

その残ったところをフェイス(信仰、信頼)でもって霊感認識するのだ。

すると、聖書解読はシャープになり、より一層感性を高めてくれるようになることが多いのだよ。

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逆に、聖書の世界のことだと言って、いきなり神秘的な認識に入ると、霊感認識に不純物が混入してきやすくなる。

不純物とは五感経験界からの認識物で、これが知らず知らずのうちに意識に侵入してくるのだ。

前もって、出来るだけ五感認識をしておくことには、その混じりものを避ける効果があるんだよ。

 
 

<最後の晩餐の会場>


事例で示してみよう。

前回、過越の食事の会場をイエスが弟子に知らせる場面があった~。

「町に入ると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家にまでついて行きなさい・・・」といって示していたよね。


これなど、イエスが先を見通す透視力を発揮して、これから起きることを弟子に示した、と解することも出来るだろう。

この透視力は神秘的な力だ。


 
 
 

<エルサレム入城は大トピック>

だけど、そういう要素を入れないで、五感経験の要素だけで理解することも出来る。

たとえばこんな具合に~


この主人はすでに久しくイエスの支援者だった。

イエス一行が来たという情報は、瞬く間に彼の耳に入った。

当時、一行の動きは、最大の社会ニュースだったからね。
 
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一行がエルサレムに入城した。

このときイエスはロバの子に乗っての華やかな入城だ。

群衆は手に手にシュロの木の枝をもって、「ホザナ、ホザナ!(救ってください、救ってください!)と大歓迎。

今なら、テレビのワイドショーでのトップ記事だ。

耳に入らないわけがない。

 
 

<使用人を差し向ける>

そこで主人は使用人を、一休みしているイエスの元に差し向けた。

この男は伝達役の使用人で、すでに弟子たちにも馴染みになっている。

彼は弟子を介せず、直接イエスに接近できた。

フリーパスだ。

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彼はイエスの耳元にそっとささやいた。

(主人が過越の食事の場を準備しています・・・)~と。

そして音もなく去って行った。

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・・・こういう場面が事前にあったと推定することも十分出来るのだ。

この推察は神秘的な要素はゼロで、宗教的な話を好む人には面白くない。

だが、こちらの解釈を採ると、他の、神秘としか考えようがないイエスの行為が、より輪郭くっきりと浮かび上がってくるのだよ。


 
 

<神秘を否定せず、神秘主義を避ける>

誤解しないように。

わたしは神秘を否定しているのではない。

神秘認識がなくなったら、それは科学になってしまう。

神秘要素は大事だ。

だが神秘「主義」はさけなければならない。

それはキリスト教に、安全でない要素を持ち込むしね


今回はここまでにしよう。






 
コメント
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