今回は、話題を変えよう。
人間は世を去るとき「遺言」をする。
前もって書面(遺言書)にしたためておくこともあるが、とにかく言い遺しをする。
それは「これまで何らかの事情で言わなかった」大切なことだ。
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若い頃、徴兵されて外国で戦い、復員してきた。
だが、その後の生活で、家族に戦争のことはいっせつ語らなかった。
そうやって臨終を迎える人は、沢山いるようだ。
その彼も、最後には戦時中の体験、見聞を言い残すことがある。
こういうのはやはり、重要で重い遺言なのだ。
<イエス最後の言葉>
イエスもこの世を去るとき最後の言葉を遺している。
復活して、教えを追加した後に、天に昇るに際して語った言葉だ。
『使徒行伝』の著者ルカはそれを次のように記録している。
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「聖霊が諸君(イエスを信じる人々)に臨むとき、諸君は力を受けます。
そして・・・(中略)・・・地の果てまでの、私の証人となります」
(『使徒行伝』1章8節)
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~これもやはり、多くの示唆を含んだ重要な言葉・・・という香りがする。
イエスの教えの核心を含む臭いがする。
<教えの「核心」とは>
ここで私の言う「核心」とは、「これが成れば他のことも実現していく」という言葉だ。
といっても、その捉え方は色々あるだろう。
「そのなかでこれが絶対だ」とは私は言わない。
あくまでも鹿嶋のみる「核心」としてそれを追ってみる。
上記の聖句を、核心を示唆する最後の言葉と期待しよう。
そして、そこからイエスの語った教えを(時間的に)逆算して手探りしてみよう。
<「力を受ける」はすでに説明済み>
上記のイエスの言葉のうちで~「聖霊が臨むとき、諸君は力を受けます」の意味はすでにここで説明したよね。
『使徒行伝』2章に「マルコの部屋で200余人に聖霊がくだった状況」が記録されている。
それが「聖霊が臨む」だ。
いわゆる「聖霊のバプテスマ」だ。
これは説明した。
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続いて『使徒行伝』3章に、ペテロとヨハネが神殿の広場で脚萎えを立たせる場面が記されている。
~これが、「聖霊を受けて力を現す」状況だ。
このように、力とは、世に言う「奇跡」を実現させる力だ。
なお、奇跡は聖書用語では「しるしと不思議(signs and wonders)」とも言う。
<証人は「証言する人」>
では「わたしの証人となる」とはどういう意味か?
証人とは「証言をする人」で、これは基本的に裁判用語だ。
裁判では証人は裁判官に、論理的に~あるいは、感情的に~訴えて証言を納得させようとする。
<奇跡が伴う証言>
だがこの聖句でイエスの言う「証人」にはもう一つの意味内容がある。
その証言には奇跡が伴う、という意味が込められている。
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イエスに関わる証言は、本質的に、「見えない世界」「霊的な世界」の領域のことを語っている。
他方、それを聞く側の人は、五感による認識にしか確信を持てない人々だ。
こういう人々に霊的な事象を説明しても・・・「口だけなら何とでも言えるさ」と思うのが自然だ。
これは別に悪いことではなく、人間の自然の情だ。
だから、この状態では、証言は空しいもので終わるのだ。
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だが、その証言の言葉を語ると奇跡~しるしと不思議~が伴う、となったらどうか。
聞く人の姿勢はガラリ一変するだろう。
<奇跡は神そのものを見せるものではない>
この奇跡は、語っている「見えない世界」そのものを見せてあげるものではない。
創造神を語っていても、その神そのものを見せてあげるものではない。
「見えない世界」に原因を持つとしか思えない物的事象を、現実化して見せてあげるのだ。
すると人は、「この証言者は霊的な世界に通じている人」と認識する。
これもまた、人間自然の情としてそうなる。
それで証言の言葉を「事実だろう」と受け入れるのだ。
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さらにその奇跡が、人々が苦しんでいることの解決となる場合には、強い喜びも伴う。
病の癒しとか、身体器官~手脚の骨や筋肉、眼球など~の再創造事象がそれだ。
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実際、イエスを信じる者たちに伴った奇跡はほとんどがそれだった。
が、ともあれこうした奇跡を伴った証言をする人が、イエスの言う「わたしの証人」なのだ。
<奇跡を伴わせる方法>
では、そんなこと、どうやって実現できるか?
そこで上記のイエスの言葉から、聖書を時間的に逆算して探っていく。
するとイエスがその方法を示している言葉に出会う。
「ヨハネ伝」のなかにそれは埋まっていた。
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「諸君が私に留まり、私の言葉が諸君の内に留まれば、欲しいものは何でも求めなさい。それはかなえられます。
(ヨハネによる福音書、15章7節)
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凄い聖句だね。
だがこれも吟味・解読しないことには~このままでは~言ってる意味が解らないよね。
その解読を、次回に試みよう。
今回はこれまでとしよう。