鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

44.エルサレム神殿とマルコの部屋

2018年05月11日 | 安全なキリスト教の学び方

 

 

 

りんたろうくん。
 
いま我々は、聖句自由吟味方式を出現させた歴史背景を迂回散策している。

日本人は、この方式を、言葉で原理を説明されても、さっぱり実在感が湧かないからだ。

実在感を持ってイメージ出来ないからだ。

 
 

<エルサレム神殿の巨大さ>


今回は、初代教会を実現させた舞台空間の一つ、エルサレム神殿を眺める

この建造物の構造をイメージするには、日本人は手がかりを持っている。

神社がそれだ。

神社にも色んな要素があるけれど、骨子要素は拝殿と本殿だ。

画像を見よう。
(以下今回の画像の出所はみな、ウイキペディア)




          =日本の大神社の構造=



拝殿は一般参拝者が拝むところだ。

本殿はその奥にある「奥の院」で、「見えない影響者」(神様)が臨在するところとされている。

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エルサレム神殿も、骨子要素は聖所と至聖所だ。

画像を見よう。





     =ソロモン時代のエルサレム神殿空間=

 

「聖所」は神社の拝殿に、至聖所は本殿に相当している。

だが両者には大きさに格段の違いがある。

神社は日本には沢山造られているが、イスラエルでは神殿はこの一つだけだ。

日本にも大きい神社はあるよ。

伊勢神宮、出雲大社、明治神宮、成田神社、熱田神宮(名古屋)などがそれだ。

だが、エルサレム神殿は、それら日本の神社を一カ所に集めたような巨大空間だ。

 
 +++
 
といっても、なかなか想像は難しい。

エルサレム城塞都市のなかでそれをみてみよう。





=ソロモン時代のエルサレム城塞都市=



神殿が上部の高台にある。

これはソロモン時代の神殿だが、イエスの時代には、都市面積も神殿もさらに拡大されていた。

聖所の前の広場は何千人も入れる空間だった。


 
 
 
<参拝者数も巨大だった>

この神殿に、イスラエルだけでなく、ギリシャやエチオピアなど周囲の国々からも沢山参拝者が来た。
 
この神殿にはそれだけの影響力があったわけだ。

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日本の大神社の場合、参拝者でごった返すのは、初詣の正月3~5日くらいだ。

この期間に、大量の人々が、初詣のため参道をぞろぞろと歩み続ける光景が終日続く。

拝殿の前は人でごった返している。

先に到着した人から、争うようにしてお賽銭を投げて、手を合わせて「ウ~ン」と念じる。

後ろには続いて到着した参拝者が待っている。

彼らも同じことをして、もときた参道を帰る。

正月三が日はこの風景が終日続く。


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ところがエルサレム神殿では、これに似た光景が、年に何回もある祭りの期間毎にくりかえされていた。

様々な祭りの期間毎に、周辺国からも大量の人々が参拝に来た。

すべてにおいて日本の神社とは桁外れな規模なのだ。



 
<隅田川花火一晩分の轟音>


聖霊降臨が起きた時も、祭りの期間の最中だった。

200人余が一つの部屋に集まっていたのが「マルコの部屋」。

ここで起きた状況を、もう一度『使徒行伝』2章の聖句で見よう~。


・・・・・・・・・・・・
「突然天から、激しい風が吹いてくるような轟音が鳴り、部屋全体に響き渡った。

次いで、炎のような分かれた舌が現れ、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、聖霊が話させてくださるとおりに語り出した。

そのことばは、語っている本人も理解できない、他国の言葉であった・・・」
・・・・・・・・・・・・・・


~ここで「激しい風が吹いてくるような轟音」が鳴ったのは、部屋の中だけでない。
 
聖書には、突然「天から」とある。
 
その音は神殿の聖所前広場にいた人々の耳にも、鳴り響いたのだ。
 
+++
 
どんなに大きな轟音だったことか・・・。
 
思うに、東京隅田川での、夏の花火大会というのがあるだろう。
 
そこで一晩に打ち上げる花火は、仕掛け花火も含めると何百をかぞえるという。
 
まあ、千個としておこう。
 
千個の隅田川花火を、城塞都市の上空の一カ所に集めて、一気に爆発させた。
 
それくらいの轟音とでも言うべきだろう。
 
 
 
 
だから、エルサレム市街の人々はみなその音に驚いたのだ。
 
神殿広場にいた人々も、その神殿空間から飛び出して、轟音の下の地点を目指して走った。
 
エルサレム市街にあった「マルコの部屋」に飛び込んだ。

 
 

=聖霊降臨想像図=


そして「なにごと?!」と部屋に詰めかけられた人々に向かって、ペテロは聖書の新しい解読を説いたのだった。

 



<その日に三千人も教会員になれたのは>


「使徒行伝」には「その日だけで3000人が、弟子たちに加わった」とある。

だが、現実の話、三千人が一度に「マルコの部屋」に入れたはずはない。

人々は入れ替わりながら部屋に入った。

ペテロは説教を複数回繰り返しただろう。

また、聞いた人からの口コミも伝わった。

彼らすべてが驚き、弟子たちの群れに「入れてくれ」と願い受け入れられたのだろう。

それらの人が総計三千人いたということだろう。

+++

~以上も、五感経験できる事象としての理解だ。

これを飛ばしていきなり、「神の力で三千人が一日で参加した」と認識するのは純朴にすぎる。

つまるところは、創造神の力によるのだろう。

それにはちがいないのだが、いきなりそこにいくと、神秘主義に流れやすくなる。

そうすると、「安全でない」ものが混入してきがちになるのだ。


   

 
<初代キリスト教会を一気に立ち上げさせるには>


また、こう解してはじめてイエスの言葉「エルサレムに留まっていなさい」の意味も浮上してくる。

弟子たちに聖霊を降臨させるのは、ガリラヤでだって出来る。

だがそこには、日頃から聖書を読んでいる人々が、大挙して現場に駆けつける、という舞台がないのだ。

条件がない。

イエスは聖霊を与えると同時に、弟子たちが教会を立て上げるようにしていたのだ。


今回はこれまでにしよう。



 
 


 
コメント
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