りんたろうくん。
いま我々は、聖句自由吟味方式を出現させた歴史背景を迂回散策している。
日本人は、この方式を、言葉で原理を説明されても、さっぱり実在感が湧かないからだ。
実在感を持ってイメージ出来ないからだ。
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<エルサレム神殿の巨大さ>
今回は、初代教会を実現させた舞台空間の一つ、エルサレム神殿を眺める。
この建造物の構造をイメージするには、日本人は手がかりを持っている。
神社がそれだ。
神社にも色んな要素があるけれど、骨子要素は拝殿と本殿だ。
画像を見よう。
(以下今回の画像の出所はみな、ウイキペディア)
![](https://www.nippon.com/ja/wp-content/blogs.dir/2/files/b03207_ph01.jpg)
=日本の大神社の構造=
拝殿は一般参拝者が拝むところだ。
本殿はその奥にある「奥の院」で、「見えない影響者」(神様)が臨在するところとされている。
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エルサレム神殿も、骨子要素は聖所と至聖所だ。
画像を見よう。
=ソロモン時代のエルサレム神殿空間=
「聖所」は神社の拝殿に、至聖所は本殿に相当している。
だが両者には大きさに格段の違いがある。
神社は日本には沢山造られているが、イスラエルでは神殿はこの一つだけだ。
日本にも大きい神社はあるよ。
伊勢神宮、出雲大社、明治神宮、成田神社、熱田神宮(名古屋)などがそれだ。
だが、エルサレム神殿は、それら日本の神社を一カ所に集めたような巨大空間だ。
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といっても、なかなか想像は難しい。
エルサレム城塞都市のなかでそれをみてみよう。
=ソロモン時代のエルサレム城塞都市=
神殿が上部の高台にある。
これはソロモン時代の神殿だが、イエスの時代には、都市面積も神殿もさらに拡大されていた。
聖所の前の広場は何千人も入れる空間だった。
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<参拝者数も巨大だった>
この神殿に、イスラエルだけでなく、ギリシャやエチオピアなど周囲の国々からも沢山参拝者が来た。
この神殿にはそれだけの影響力があったわけだ。
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日本の大神社の場合、参拝者でごった返すのは、初詣の正月3~5日くらいだ。
この期間に、大量の人々が、初詣のため参道をぞろぞろと歩み続ける光景が終日続く。
拝殿の前は人でごった返している。
先に到着した人から、争うようにしてお賽銭を投げて、手を合わせて「ウ~ン」と念じる。
後ろには続いて到着した参拝者が待っている。
彼らも同じことをして、もときた参道を帰る。
正月三が日はこの風景が終日続く。
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ところがエルサレム神殿では、これに似た光景が、年に何回もある祭りの期間毎にくりかえされていた。
様々な祭りの期間毎に、周辺国からも大量の人々が参拝に来た。
すべてにおいて日本の神社とは桁外れな規模なのだ。
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<隅田川花火一晩分の轟音>
聖霊降臨が起きた時も、祭りの期間の最中だった。
200人余が一つの部屋に集まっていたのが「マルコの部屋」。
ここで起きた状況を、もう一度『使徒行伝』2章の聖句で見よう~。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
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「突然天から、激しい風が吹いてくるような轟音が鳴り、部屋全体に響き渡った。
次いで、炎のような分かれた舌が現れ、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、聖霊が話させてくださるとおりに語り出した。
そのことばは、語っている本人も理解できない、他国の言葉であった・・・」
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
~ここで「激しい風が吹いてくるような轟音」が鳴ったのは、部屋の中だけでない。
聖書には、突然「天から」とある。
その音は神殿の聖所前広場にいた人々の耳にも、鳴り響いたのだ。
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どんなに大きな轟音だったことか・・・。
思うに、東京隅田川での、夏の花火大会というのがあるだろう。
そこで一晩に打ち上げる花火は、仕掛け花火も含めると何百をかぞえるという。
まあ、千個としておこう。
千個の隅田川花火を、城塞都市の上空の一カ所に集めて、一気に爆発させた。
それくらいの轟音とでも言うべきだろう。
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だから、エルサレム市街の人々はみなその音に驚いたのだ。
神殿広場にいた人々も、その神殿空間から飛び出して、轟音の下の地点を目指して走った。
エルサレム市街にあった「マルコの部屋」に飛び込んだ。
=聖霊降臨想像図=
そして「なにごと?!」と部屋に詰めかけられた人々に向かって、ペテロは聖書の新しい解読を説いたのだった。
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<その日に三千人も教会員になれたのは>
「使徒行伝」には「その日だけで3000人が、弟子たちに加わった」とある。
だが、現実の話、三千人が一度に「マルコの部屋」に入れたはずはない。
人々は入れ替わりながら部屋に入った。
ペテロは説教を複数回繰り返しただろう。
また、聞いた人からの口コミも伝わった。
彼らすべてが驚き、弟子たちの群れに「入れてくれ」と願い受け入れられたのだろう。
それらの人が総計三千人いたということだろう。
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~以上も、五感経験できる事象としての理解だ。
これを飛ばしていきなり、「神の力で三千人が一日で参加した」と認識するのは純朴にすぎる。
つまるところは、創造神の力によるのだろう。
それにはちがいないのだが、いきなりそこにいくと、神秘主義に流れやすくなる。
そうすると、「安全でない」ものが混入してきがちになるのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/house_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/house_blue.gif)
<初代キリスト教会を一気に立ち上げさせるには>
また、こう解してはじめてイエスの言葉「エルサレムに留まっていなさい」の意味も浮上してくる。
弟子たちに聖霊を降臨させるのは、ガリラヤでだって出来る。
だがそこには、日頃から聖書を読んでいる人々が、大挙して現場に駆けつける、という舞台がないのだ。
条件がない。
イエスは聖霊を与えると同時に、弟子たちが教会を立て上げるようにしていたのだ。
今回はこれまでにしよう。
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