マグダラのマリアにつき、前回、大勢の女性と共にイエスに同行していた、と述べた。
だがそれでいて彼女は、イエスにとりわけ近しい女性でもあったのではないか。
次の聖句はそのことを示唆している~。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、
クロバの妻マリアと、マグダラのマリアが立っていた。」
(ヨハネの福音諸、19章25節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時イエスは驚異的なわざ(奇跡)と教えで、すでに超有名人だった。
イエスが十字架刑にかけられるという情報は、イスラエル全土に大ニュースとして駆け巡った。
ニュースを聞いて、大勢の人々が刑場に来た。
そのうちイエスの母マリアとその姉妹など、近親の女性は十字架のすぐそばにいたはずだ。
愛弟子ヨハネも、そのグループにいた。
なぜなら、イエスは十字架の上から、母マリアとヨハネにこう語りかけている~。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「イエスは母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、
母に『女の方、そこに、あなたの息子がいます。』と言われた。
それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます』といわれた。
その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った」
(ヨハネの福音諸、19章26-7節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう声は、十字架のすぐそば、おそらくほとんどその下でなければ聞きとれないだろう。
<ヨハネは自分のことは控えめに書く>
また、このグループにいるただひとりの男性は、弟子ヨハネ(後にこの福音書の著者となる)である。
彼は自分で自分の名は書かない。自分がイエスに最も愛された弟子である、とも書かない。
実際には、自分は弟子の中でもイエスを最も愛し、理解した弟子だと自認している。イエスも弟子の中でも彼を最も愛した、と知っている。
だが、ヨハネは自分をイエスが「最も」愛した、とも書かない。
ただ「愛した弟子」とだけ書いている。それがヨハネの書き方なのだ。
文字通りに読むと、イエスは他の弟子は愛してなかったかのようにも解釈されうる。だがそうではない。イエスは他の弟子も無論愛していた。そのなかで、ヨハネを最も愛したのである。
<「クロバの妻マリア」は豊かな支援者か>
ここで、クロバの妻マリアという女性に関して記述している聖句はない。
だが、イエスの本質を霊感し、特別に手厚く支援してきた豊かな貴婦人である可能性が推察される。
+++
けれどもマグダラのマリアは豊かな貴婦人でもない。マグダラ村から、イエス宣教旅行についてきた一女性だ。
なのに、イエスの近親者や弟子ヨハネと共に、十字架のすぐ下にいる。
理由は、普段からとりわけ深くイエスを慕い愛したこと以外には考えがたい。
彼女はヨハネと同じく、段違いに深くイエスを慕い愛し、理解した存在だった。
そのため、自然に母マリアたちのグループに入って十字架の下にいたのであろう。
(続きます)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます