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ヨハネ神学独特のイエス理解をもうひとつあげておきましょう。
同じ1章ですが、10節に飛びます。
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<世はこの方によって創られたのに・・・>
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=聖句=
「・・・・世はこの方によってつくられたのに、この方を知らなかった」
(1章10節)
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ヨハネはここでこの世を創造したのは霊イエスなのだ、といっています。
彼の霊感がそう感知したのでしょう。
通常の理解では、父なる創造神とされていますので、これはもう独特です。
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<「創世記」の難解聖句も解決>
この把握は、「創世記」における次の聖句への疑問も解消してくれます。
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=聖句=
「創造主は『われわれに似るように、われわれの形に人を作ろう。・・・・・・』
と仰せられた」(創世記、1章26節)
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これは聖書を初めから読み始めるとすぐにぶつかる難解聖句です。
まず「われわれ」とはなにか? がわからない。
創造主お一人でなく「われわれ」と複数なのです。
創造主が複数となれば、父・子・聖霊の三者しか考えられません。
そこで読者は苦し紛れにそういう風に解釈します。
だが、それですと「我々の姿に似せて」がおかしくなります。
とくに父なる創造神は空間的にも無限の広がりを持った無限者です。
空間的無限者は「形がありません」ので、
「我々の姿に似せて」が意味をなさなくなってしまうのです。
そこでまた苦し紛れをする。
「我々に似せる姿」とは、その性格や本性だとしてしまうのです。
だけど、「姿」を「性格や本性という抽象的なものにするのは無理がありますよね。
百歩譲って、そういうことにしても、
「人間の性格や本性」がどういう風に創造神に似るんでしょうかね。
この解釈は無理なのです。
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ところが、この世を創造したのは実は霊イエスだった、とすると
ここはぱらりと解けていきます。
姿は外形的な姿と素直にとれるようになります。
霊イエスは、今の人間のような姿を前もって持っていたと考えられます。
人間はそれに似せて作られた、と素直にイメージできます。
では「われわれ」という複数になるのはどう理解したらいいか?
それは「天使」だと考えたらいいのです。
霊イエスには天使が付き従っていた、としたらいい。
イエスに天使が付き従うのは、聖書では自然なことです。
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<アブラハムが産まれる以前から・・・>
霊イエスがこの世を創った、というヨハネの理解は、
ヨハネ伝の次の聖句も明確にしてくれます。
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=聖句=
「諸君に真理を告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのだよ」
(8章58節)
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これはユダヤ人たちと論争したときに、イエスの口から出た言葉として、
ヨハネが記録しているものです。
アブラハムはユダヤ民族の始祖です。
イエスはその2000年後にこの世に人の姿で生まれています。
ところが「そのアブラハムより前から自分は存在している」
とイエスは言ってのけています。
ユダヤ教の長老その他のユダヤ人は、頭にきて石を投げつけようとする
・・・そういう場面でのイエスの宣言です。
これも「この世を創ったのは霊イエスだとすると、すっきり理解できる台詞です。
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<これもヨハネの疑問への解答か?>
もしかしたら、ヨハネにはまず、このイエスの言葉が記憶にあったのかもしれません。
そして、これは具体的に何を意味しているのか・・・という疑問があった。
同時にまた、前記した創世記1章26節の「我々に似せて・・・」
という言葉への疑問もあった。
これらの答えを思案していて、あるとき、
「この世を創ったのは霊イエスだとすると、つながる!」
という霊感がきたのかも知れません。神学的霊感ですね。
当面、春平太にはそのヨハネ理解が一番ぴったりきています。
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直行できるために
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