
しばらくぶりで、SG議論用テーマをたててみましょうか。
本日もBGMはmariさんのこれです。
http://aiai.hukinotou.com/
(クリックして最小化し、もう一つエクスプローラ画面を開いて春平太チャーチを開くと
BGMのある状態で読むことが出来ます)

さて、こういう場面を想定してみてください。
「この人は福音の世界には遠い人だなあ・・」と日頃感じていた人がいた。

ところが、どんな波動を受けたのか、天使が働いたのか、ある日こんなことを言いました。
「な~んか、聖書が気になって仕方ない気分だ。
ねえ、聖書ってどんな本?」
さて、こういう場面では、どう答えますか?
また、どう答えたらいいでしょう?
また、いろんな意見が交わせたら嬉しいです。
新参加者も歓迎ですよ。

私なら、本人が聖書をもっていないなら、自分の聖書を差し上げるか貸します。そして、まずは本人に読んでもらいます。ルカ伝もしくはヨハネ伝あたりから読むことを勧めるでしょうか。
で、感想を聞きつつ、どれだけ食い込んでくるかの反応を見ます。
本人が食べてみないことには、その食べ物の味はわからないでしょうから、聖書がどんなものかの説明をいろいろしてみた所で、その人が聖書をどう味わうかはわかりません。
その人の性格や気質などがわからないのと、何を求めて「聖書を読みたい」と思っているのかがわからないので何とも言えませんけど。
読むのが嫌だけど、聖書の中身が知りたい…って言われたら、どうするだろうか?
その時は結構、小難しい話をしてしまうんじゃないだろうかと思います…。
本人が聖書をわからないなりにも読んでくれて、それに対して、ポツポツと応答しつつ、さらに読んでくれるように導けたら一番ベストかなぁ、なんて思います。
ただ、その前に、聖書のどんなところが気になるのか、もう少し掘り下げて聞いてみたいですね。 その人の趣味や性向などをある程度熟知していれば、いきなり、聖書とはこういうことが書いてある本だと、その人の興味を引きそうな観点から話すこともできるでしょうけど、そうでない場合は、関心がどのあたりにあるかを見定めたいです。 歴史、哲学、文学、美術、音楽、いろいろなジャンルが切り口になりますけど、たとえば文学的な関心があったとしても、英米文学かドストエフスキーかで、別の宗教と錯覚するぐらい印象が違います。
その上で、その人が興味を持って読めそうなのはどの文書かを考えるでしょう。
始めから、イエス・キリストに興味があるとおっしゃる方なら福音書を勧めてもいいでしょうけど、そうでもない人が多いのです。 たぶん、福音書を読んでも、論理が飛躍してわけがわからず、つまらないと思うだけです。
(数年前までの私がそうでした)
天地創造とか神話的な話題に興味があれば、創世記ですし、何とかの大預言とかオカルト的な興味のある人には、黙示録とかダニエル書でしょう。 モーセやダビデやソロモンを知りたい人には、歴史書を勧めます。
しかし、一番、無難なのは、詩篇か箴言か伝道者の書あたりだと思います。
~zeroさん、ホントにそうですねぇ。
でも、こういう質問、「聖書ってどうい本?」という質問って、
受ける機会あり得ると思うんです。
そういう時適切な応答が出来ることは、とても大切と思います。
>ざっと概要の説明だけして、読んでみてくださいと言うでしょう。
~Sabiaさんの「ざっと概要の説明だけして」を拝読して考えることありました。
つまり、聖書の概要を言えばいいのかなあ、と。
といっても、その概要をどういうかは、またそれで問題でしょうけど・・。
何か、いい言い方はないでしょうか。
イエスが「律法というのは、要するに、第1に創主を愛し、
第2に人を愛せよと言うことだ」といったような、
エッセンスを洞察して簡素に説明してあげるというか・・・。
そういうことが大切なような気がしてきました。
私はキリスト教系の大学に通い、そこの学生寮で過ごしました。この寮生活でも若干ですがキリスト教の影響がありました。あるとき同じ寮で生活する友達と街を歩きながら話をしているうちに彼はクリスチャンは偽善者だから自分はキリスト教を信じることはできない、と強い口調で議論を挑まれました。
もう一つはまだ新入社員だったころ、会社の先輩たちに飲みに連れて行かれ、その二次会で、おまえはクリスチャンということだが、一体何がすばらしいのか言ってみろ、といってテーブルの真ん中で話しをさせられました。
この二人ともキリスト教に興味を持っていたと思うのですが、私はこのチャンスの両方でうまく説明するほどができず非常にもどかしい思いをしました。
準備ができていなかったのです。
今だったらもう少し話せるような気がしていますが実際はどうなのか...
最近はチャンスに恵まれません。
さて、もし鹿嶋先生からのシチュエーションにめぐり合った場合、できれば一緒にゆっくりコーヒーでも飲みに行きたいな、と思います。
そしてどこでどういうふうに聖書に興味を持ったのか聞いてみたいです。なぜそんな気持ちになったのか。
私がまず伝えたいのは聖書がただの書物ではないということです。
現代まで続くユダヤ人とアラブ人の争いがアブラハムの子孫の兄弟げんかであることなどを例にして、生きた歴史書であるということは興味を引くでしょう。
そしてなんといっても、イエスキリストが顕在化するいのちのことばであることが少しでも伝われば最高です。
でもまだまだうまく話せそうにありません。
もっと聖書を読んで、たくさん聖句を覚える必要がありそうです。
私はこのチャンスの両方でうまく説明するほどができず
非常にもどかしい思いをしました。
~そうですか・・・。
そういう経験をISさんはなさっていたんですね。
このテーマをたててよかった・・。
みんなでなにか、上手い説明を考案できたらいいですね。
>「自分もよくわからないから一緒に読んでみよう。」と答えるのがいいと思います。
SGの始まりです。
masaさんは、ズバリの答えをもっておられたんですね。
なるほどねぇ・・・。
わたしも一度、そう答えてみようかな。
「聖書ってどんな本?」
「これは、創り主を信頼して暮らして行きなさい、と言ってる本だよ」
~こんなのはどうでしょうかねぇ。
この流れでシミュレーションを行ってみたいのですがいかがでしょうか。
私が聖書に興味がある人の役をさせていただきます。
以降、自由参加でお願いします。
(もちろん無理に続けなくていいです。)
<><><>
~「これは、創り主を信頼して暮らして行きなさい、と言ってる本だよ」~
「なるほど。ずいぶん簡潔に言い表せるんですね。
では、創り主って誰ですか。アラーとか神とか呼ばれて信仰されている存在という理解でいいんでしょうか。
あと、創り主を信頼するって、実際には何をしたらいいんですか。
聖書に興味はあるんですが、なにせ分厚いので読もうという気になかなかなれないのです。」
<><><>
クリスチャンになる前までは、私は自称「無神論者」でした。ですから「創り主」という概念そのものを否定していました。そういう私がもし誰かとこういう問答をしていたら、議論の末、反発して信仰を持つには至らなかったのでは…とも思います。
ISさんの例にもあるように、理屈っぽい私も「創り主を信頼して暮らして行きなさい、と言っている本だよ。」の一言目で質問が出ると思います。私の場合はその質問が非常に重要だと考えます。
「創り主」がわかれば、罪もわかるだろうし、罪がわかれば救い主の必要性もわかるでしょう。
聖書の「主」が創造主であること、そして「創り主が絶対者である」ということを聖書を読むことで理解もしくは信じるにはどのような話をするのが良いのでしょうね。
ちなみに私が信じた当初に書いたブログをある人がまとめてくださったものがあります。よろしければお読みください。
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/akasitunemisan.html
自分が信仰を持つに至るまでの経緯を思い出してしまいました。
~HP拝読しました。
常見さんとおっしゃるんですね。
血のにじむような苦しみの過程を通られたんですね。
こんなに苦しまないと、日本人は創主信頼に至れないのか、と思いました。
もっと楽に信頼に至る方法を考え出さねば、と痛感しました。