自由思考を許すスモールグループメソッドは、教育の極意をも秘めています。
今回はこれを、具体的に学校教育の場でもって考えてみましょう。
教育の意味は「教え育てること」ですよね。
これは他者が、教えられる立場の人間に何かの行為をすることです。
何のために?
主たる目的は生徒・学生の知性を伸ばすことでしょう。
感性を豊かにすることもありますけど、第1は知性の活動を向上さすことでしょう。
だが、考えてみましょう。
知性とは精神の活動の一つです。
生徒は自分でなく他者です。
人間は、他人の精神活動の中に直接手を突っ込んで、これを引っ張り上げたりすることなど出来ません。
知性が伸びるには、当人の中で、知性が躍動するようになるしかないのです。
では、学校側には何が出来るのか?
生徒・学生が知性躍動体験をしやすい状況を作る。
基盤はこの一点にしかありません。
そして前回にも書きましたように、人間の精神のなかで知的躍動が起きるのは、
「自分の今の時点の知的レベルから自然に生じる疑問、知識への欲求が充足された時」のみです。
この機会を与え、それを増やすのが、他者である教育する側に出来る唯一のことです。
ある時点での知識レベルがどんなに低い子供でも、この知的躍動を体験すると、
あとは持続的に知的レベルを上げていきます。
そしてその精神状況は、学校時代だけでなく、生涯を通して続くのです。
<欲する知識を表明しやすい状況をつくる>
その精神活動が出来るに必要な状況を整備するのが教育の秘訣です。
状況の第1は、「生徒個々人が自分の欲する知識を表明しやすい」ということです。
表明してくれないと、教育する側はどんな知識でもって応じたらいいか知り得ないのです。
<対話のタイミングで対応知識を提供する>
第2は、「ある一人が欲する知識を表明したら、それに対話のタイミングでもって、
それに応じる知識を提示すること」です。
この提供者が教師だけである必要は全くありません。生徒のスモールグループの中でのやりとりで
他の生徒から知識が提供されたらもっといいです。
その時教師は嬉しく見ていればいいのです。
教師のメンツがつぶされた、などという気持ちになる人は、教師として不適な性格の人です。
<過剰よりも過小な知識を投げ込む>
提供する知識は、欲するものだけであることが必要です。
教育する側は、ここぞとばかりにどんどん知識を与えたくなるものですが、それはいけません。
過剰な知識を提示するよりも、むしろ、若干不足な知識を提供する方がいいのです。
神髄は、「子供に知的躍動の快感を体験させることにある」からです。
これを体験したら、人間は、さらなる知的快感を求めて、旺盛に知性を働かせ始めるのです。
<北欧諸国の学力が世界一なのは>
キリスト教活動における聖句主義方式は、
それを可能にする方式はスモールグループによる聖句吟味にあることを、
2000年の歴史を通して教えてくれました。
そして、この方式は、聖句だけでなく、あらゆる知識の吟味に通用する秘宝なのです。
昨今、国際的に、日本の生徒の学力が低下して、
代わりに北欧諸国の生徒の学力が世界のトップランクを占めていることが、話題になっています。
実は、この北欧は、スモールグループによる聖句主義活動の土壌が広く深く根付いている地域なのです。
なぜかといいますと、聖句主義活動は歴史を通して教理主義活動をする教団から迫害を受け続けてきました。
欧州の中心部は教理主義の代表格であるカトリック教団から、捉えられ処刑されたりしました。
そこで、聖句主義者はアルプスやピレネー山脈、
あるいはスイス地方の山間に逃れて住み、聖句吟味活動を続行しました。
この人たちがまた、北欧地域に移住したことは想像に難くありません。
フィンランド、スウェーデン、ノルウェーなどは、欧州中世においては北の果てで、全くの辺地でした。
特に冬の寒さが厳しいです。
スウェーデンでも、3月においても、その底冷えの仕方は日本人などには尋常ではありません。
今のように暖房設備が整っていない時代における、冬の生活はどんなに過酷だったでしょうか。
彼らはこれらの地域にも大量に移住したにちがいありません。
欧州中心部の山間地域に住んだ聖句主義者たちは、周期的にカトリックの軍隊に摘発され、
破壊と殺戮をされました。
だが、北欧地域はイタリア、スペインなどからもとても遠いですし、冬の極寒もありますから、
カトリック教団を軍隊を送ることが困難だったのではないでしょうか。
この地での、聖句主義者迫害、殺戮の記録は、春平太はあまり目にしておりません。
だが聖句主義の土壌は、この地域の人々の活動様式に見ることが出来ますし、
学校での教育方式に明確に現れています。
生徒個々人の求める知識を大切にしますし、
教室には聖句主義のスモールグループ方式が如実に反映しています。
そしてこれが北欧の生徒の、学力が世界一になっていることの秘訣なのです。
今回はこれを、具体的に学校教育の場でもって考えてみましょう。
教育の意味は「教え育てること」ですよね。
これは他者が、教えられる立場の人間に何かの行為をすることです。
何のために?
主たる目的は生徒・学生の知性を伸ばすことでしょう。
感性を豊かにすることもありますけど、第1は知性の活動を向上さすことでしょう。
だが、考えてみましょう。
知性とは精神の活動の一つです。
生徒は自分でなく他者です。
人間は、他人の精神活動の中に直接手を突っ込んで、これを引っ張り上げたりすることなど出来ません。
知性が伸びるには、当人の中で、知性が躍動するようになるしかないのです。
では、学校側には何が出来るのか?
生徒・学生が知性躍動体験をしやすい状況を作る。
基盤はこの一点にしかありません。
そして前回にも書きましたように、人間の精神のなかで知的躍動が起きるのは、
「自分の今の時点の知的レベルから自然に生じる疑問、知識への欲求が充足された時」のみです。
この機会を与え、それを増やすのが、他者である教育する側に出来る唯一のことです。
ある時点での知識レベルがどんなに低い子供でも、この知的躍動を体験すると、
あとは持続的に知的レベルを上げていきます。
そしてその精神状況は、学校時代だけでなく、生涯を通して続くのです。
<欲する知識を表明しやすい状況をつくる>
その精神活動が出来るに必要な状況を整備するのが教育の秘訣です。
状況の第1は、「生徒個々人が自分の欲する知識を表明しやすい」ということです。
表明してくれないと、教育する側はどんな知識でもって応じたらいいか知り得ないのです。
<対話のタイミングで対応知識を提供する>
第2は、「ある一人が欲する知識を表明したら、それに対話のタイミングでもって、
それに応じる知識を提示すること」です。
この提供者が教師だけである必要は全くありません。生徒のスモールグループの中でのやりとりで
他の生徒から知識が提供されたらもっといいです。
その時教師は嬉しく見ていればいいのです。
教師のメンツがつぶされた、などという気持ちになる人は、教師として不適な性格の人です。
<過剰よりも過小な知識を投げ込む>
提供する知識は、欲するものだけであることが必要です。
教育する側は、ここぞとばかりにどんどん知識を与えたくなるものですが、それはいけません。
過剰な知識を提示するよりも、むしろ、若干不足な知識を提供する方がいいのです。
神髄は、「子供に知的躍動の快感を体験させることにある」からです。
これを体験したら、人間は、さらなる知的快感を求めて、旺盛に知性を働かせ始めるのです。
<北欧諸国の学力が世界一なのは>
キリスト教活動における聖句主義方式は、
それを可能にする方式はスモールグループによる聖句吟味にあることを、
2000年の歴史を通して教えてくれました。
そして、この方式は、聖句だけでなく、あらゆる知識の吟味に通用する秘宝なのです。
昨今、国際的に、日本の生徒の学力が低下して、
代わりに北欧諸国の生徒の学力が世界のトップランクを占めていることが、話題になっています。
実は、この北欧は、スモールグループによる聖句主義活動の土壌が広く深く根付いている地域なのです。
なぜかといいますと、聖句主義活動は歴史を通して教理主義活動をする教団から迫害を受け続けてきました。
欧州の中心部は教理主義の代表格であるカトリック教団から、捉えられ処刑されたりしました。
そこで、聖句主義者はアルプスやピレネー山脈、
あるいはスイス地方の山間に逃れて住み、聖句吟味活動を続行しました。
この人たちがまた、北欧地域に移住したことは想像に難くありません。
フィンランド、スウェーデン、ノルウェーなどは、欧州中世においては北の果てで、全くの辺地でした。
特に冬の寒さが厳しいです。
スウェーデンでも、3月においても、その底冷えの仕方は日本人などには尋常ではありません。
今のように暖房設備が整っていない時代における、冬の生活はどんなに過酷だったでしょうか。
彼らはこれらの地域にも大量に移住したにちがいありません。
欧州中心部の山間地域に住んだ聖句主義者たちは、周期的にカトリックの軍隊に摘発され、
破壊と殺戮をされました。
だが、北欧地域はイタリア、スペインなどからもとても遠いですし、冬の極寒もありますから、
カトリック教団を軍隊を送ることが困難だったのではないでしょうか。
この地での、聖句主義者迫害、殺戮の記録は、春平太はあまり目にしておりません。
だが聖句主義の土壌は、この地域の人々の活動様式に見ることが出来ますし、
学校での教育方式に明確に現れています。
生徒個々人の求める知識を大切にしますし、
教室には聖句主義のスモールグループ方式が如実に反映しています。
そしてこれが北欧の生徒の、学力が世界一になっていることの秘訣なのです。
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