聖句自由吟味者たちはバージニア州議会でリーダーとして容認された。
この人々の名が、いま言われているところのバプテストである。
北米大陸の旧植民地人民は、とにかく、英国という大国の支配から自らを切り離した。
次の課題は、この集団を「一体として運営されていく集団」にすることだった。
これからそれを語るが、我々日本人には深く留意しておくことがある。
<隣国との関係を常時考慮しなくていい特殊国>
彼らはこの国造りを、母国大英帝国や欧州の強国たちの性格や動きをにらみながら、考えねばならなかった。
特に、英国は、この新独立集団を再び支配下に置くチャンスをうかがい続けていた。
諜報員の暗躍も当然あっただろう。
これが日本と違うのだ。
日本でもたとえば、鎌倉幕府を造るとき、関東武士たちは新国家体制を思案した。
朝廷との関係もデザインした。
だが、それを隣国の中国や韓国、あるいは東南アジア諸国の動きをにらみながら、考案する必要性は少なかった。
四面を海で隔てられているからである。
だが、これはこの地球上で一定以上の規模を持った国家としてはきわめて特殊なことだ。
こういう特殊環境に、日本人は置かれてきていることを見逃してはならないのだ。
欧米諸国に比べたら、日本の国家システム作りは単純素朴だ。
もし、PCやスマホで国造りゲームを作って売り出したとしても、日本を舞台としたゲームは売れないだろう。
隣国との相互関係が考慮要素として入ってこないので、ゲームはきわめて単純でつまらないものになってしまうのだ。
実は、この環境が日本民族の政治見識の希薄さと直結している。
今の日本の政治問題も、この土壌から産まれている。
だが、これについての話には、ここでは踏みこまない。
ともあれ、これから筆者はアメリカ大陸旧植民地の国家システム作りの話をいていく。
だが、それは常時、生き馬の目を抜くような欧州諸国の動きをにらみながらされていることを心に留めておくべきだ。
<中央政府がいる>
では始める。
バージニア州議会のリーダーたちは、国家システムを、法の支配によるものとして作り上げようとした。
法に最高権威をもたせ、それでもって国家システムを規定し安定的に運営することを望んだ。
州は既にある。
すでに各々が独立性を持ってしまっている。
これを連携させ、国としての一体化を実現せねばならない。
それを具体化するには、全体のリーダー機能を果たす政府が必要だ。
彼らは連邦政府(中央政府)を造ることを考えた。
すると次の決定事項が出現する。
各州は中央政府に、どの程度の権限を委譲すべきか、がそれだ。
<憲法制定会議を仕掛ける>
話は前後するが、彼らは、これらを各州の代表を集めた会議で議論し、合意に基づき決定させようとした。
そのために、彼らは憲法制定会議を提案しつくらせようとした。
そして、これを実現して、延々と議論しあった。
それは聖句吟味主義者たちが、このやりかたが、国家の成員の知的資産を発揮させる最も効率的な方法だと知っていたからだ。
彼らは、聖句吟味活動二千年を通して、そのことを確信していたのだ。
<大統領と議院との権限関係をデザイン>
では連邦政府の統治システムはどうするか。
議院内閣制にするか、大統領制にするか?
大統領を人民が直接選んで決めるようにすれば、統治行動のリーダーシップと責任は、議院内閣制よりも明確に現れる。
彼らは大統領制を選んだ。
すると、この大統領と議院との権限配分をデザインせねばならなくなる。
たとえば、大統領に議院の決定への拒否権を与えるべきか等々だ。
これらを州代表たちは延々と議論し、決定していった。
<民主制はリーダーシップも必要とする>
だが、こういう議論を白紙の状態からはじめても、限られた期間内に決定に至るのは、現実には難しい。。
実は、バージニア代表団は、それを見越してバージニア案を持って参加していた。
彼らは、それを、前もって州議会で造り上げ、持ち込み提案した。
これを吟味することでもって、議論は建設的に進んだ。
それをみて他の州代表からも一案が出されたが、結局、バージニア案をベースにして連邦政府機構は決められていった。
聖句自由吟味者たちはリーダーシップを発揮したのだ。
民主制が機能するための必要条件は、人民の政治見識が一定水準に達していることである。
だが同時に、優れたリーダーシップもまた、この制度が機能するために不可欠だ。
憲法制定会議におけるバージニア州代表団は、それを示してくれている。
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