鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.34『イエス、また、かまわずどんどん言う(3章)』

2005年01月05日 | ヨハネ伝解読
 ニコデモさん、にもどります。
 この人、イエスの言っていることがさっぱり理解できません。

 とはいえ、彼は、イエスの教えには“何かがある”であろうことは漠然と感知してはいるのです。そこが他のパリサイ派の僧侶と違うところです。

 だから、イエスが十字架死するまで、彼の隠れシンパのように、外から彼を取り巻き続けました。そういう人って今でもいるものです。ニコデモは、そういう人だったのです。

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 繰り返しますと、かれはイエスはタダモノではないと感知していました。けれども、その教えが何かといわれると、言葉で説明できない。つまり、理解は出来ていなかったのです。

 彼の属するパリサイ派は、サドカイ派ほどには、徹底して霊的存在を否定してはいませんでした。けれども、かといって、積極的にそのあり方を聖書の中に探求することもしていなかった。

 無理なのです。旧約聖書は、霊的法則をほとんど比喩的にのみ示している。言葉の上で、直接的には示していません。

 聖書は実は霊の法則を示すものである。それが実は聖書全体の論理です。ところがその真理はイエスが「解き明かすことによって」初めて、人間にわかるようになる、というのが聖書の構造です。「私が真理です」というイエスの言葉は、それを意味しています。

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 もちろん、人間と言っても、例外はあります。旧約聖書に出てくる預言者たちは、それを感知していた例外的な人でした。だから、預言者はほとんどが殺害されているわけです。一般のユダヤ教指導者の教えと違うことを言うからです。

 国家体制の側は彼らを殺すことになるんですね。これまた、「天と世の絶対的な対立」。そしてイエスもまた、同じ原因でもって極刑に課され、殺されることになるわけです。

 ともあれ、そんなわけでニコデモさん、イエスの教えがさっぱりわからない。けれども、イエスは例によって、相手がわからなかろうが、どんどん言います。弟子たちを始め、他のものも聞いていますから、「わかるものにはわかる」というつもりなのでしょうか。

 ニコデモにはこんな主旨のことも言っています。

 「私が今話したのは、この地上でおきることだ。それすらも信じられないあなたに、天の創主王国のことを語っても信じようがないだろうな」(3章12節)
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