「イエスが人の証言を必要としない」ことに関連して、ヨハネは敢えて、「必要とされているのは聖霊の証言なのだ」とは言いません。そういう答えをこの段階では示さないでおきます。
その代わりに、
「(イエスは)人の心にあるものを知っておられたから」と言っています(25節)。
これもまた、意味深ですね。このように、暗示的な言葉を二つ重ねて、2章は終わっています。読者はここでも「何があると知っておられたのか?」と質問せずにおられなくなります。
だが、ヨハネは、これについてもそれ以上、ここでは何も言っていません。どうして、こんなに気を持たせるような書き方をするんでしょうね。
@ @ @
それは、この問題が深い真理を含めているからであります。だから、ここではまだ、書けないのです。書いたら、とても長くなってしまうのです。
そこで春平太が結論だけを述べておきます。ここでは「天の意識と世の意識とは絶対的対立関係にある」という認識が、背景としてあるからです。
天とは天国です。世とは、この地球をも含む宇宙です。聖書の持っている、こうした空間理念については、春平太の「誰もが聖書を読むために」(新潮選書)「聖書のことがよくわかる本」(中経出版)などに図示されています。本屋で立ち見できますので、是非ご覧ください。
ともあれ、かいつまんで言えば、こう言うことです。天国というのは、創主の王国です。そこは、創主の真理に満ちています。創主は、そこに無数の天使を造って、自らの名を礼拝・賛美させます。
ところが、その天使の中に、配下の天使に自らを賛美させようとするのが出るのです。天国の中に、そういう自分が王として崇められる世界(空間)を造ろうとするわけですね。
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天使は霊的存在です。この天使は、そういう意識を持つことによって、変質してしまいます。サタン、悪魔に変質するのです。また、彼は天使の一軍の長でした。彼の配下の天使は、彼に従う結果、悪霊となります。聖書で「天の諸々の悪霊」とあるのは、それに相当すると思われます。
創主は、サタンが天国の中に自分の王国を造ることを許しません。天国は、創主の王国なのです。そこで、天国の一角に、別の空間を造ります。それは暗闇の空間です。これが宇宙です。そこに不従順で、自らに対抗した天使たちを追い落とし、閉じこめてしまいます。
@ @ @
そして、その宇宙の中に、地球を造り、そこに人類の祖先とされるアダムとイブを造るのです。二人は、創主に常に意識を向け、創主を拝し、創主に従順な存在として造られます。しかし、この世は所詮、宇宙の牢名主たる悪魔の影響下にある世界です。純朴な二人は、まもなく悪魔の誘惑に乗って、創主から意識をそらしてしまいます。
その結果、彼らの意識も、悪魔の影響下に入ってしまうのです。そして、地球上の人類はその、霊的資質を受け継いできている、というのが聖書の思想です。だから、アダム以降の人間は、みな、悪魔の影響を受けた意識を内に持っていることになるのです。
具体的には、この世の人間は「創主に対抗する意識を心底に持っている」ことになります。
このように、天の意識と世の人々がもつ意識とは、絶対的に対立関係にある。そういう構造になっているというのが、聖書思想の奥義です。これを悟らずに聖書を読んでいると、皆おかしなことになってしまいます。そして、残念ながら日本の教会では、これがとても多いのです。
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ともあれ、以上がイエスは「人の心の内に何があるかを知っておられた」の意味内容です。だから、イエスは人の証言は受けない、ということになるのです。
ただし、後に、一定の人の意識(霊)のうちに、聖霊が入るという事態が起きます。その人の意識は、聖霊が支配します。そういう人の証言は、イエスは受けると言うことになります。
だから、後にイエスは、弟子たちに、聖霊を受けるまで、エルサレムを離れるな、と命じることになる、という筋になっているのです。
今回は、少し難しかったですね。ご心配なく。後にまた、説明をいたします。ともあれ、以上で2章は終わります。この章は、いよいよイエスが宣教を開始して、まず、何をしたか、を記録していると見ていいでしょう。
その代わりに、
「(イエスは)人の心にあるものを知っておられたから」と言っています(25節)。
これもまた、意味深ですね。このように、暗示的な言葉を二つ重ねて、2章は終わっています。読者はここでも「何があると知っておられたのか?」と質問せずにおられなくなります。
だが、ヨハネは、これについてもそれ以上、ここでは何も言っていません。どうして、こんなに気を持たせるような書き方をするんでしょうね。
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それは、この問題が深い真理を含めているからであります。だから、ここではまだ、書けないのです。書いたら、とても長くなってしまうのです。
そこで春平太が結論だけを述べておきます。ここでは「天の意識と世の意識とは絶対的対立関係にある」という認識が、背景としてあるからです。
天とは天国です。世とは、この地球をも含む宇宙です。聖書の持っている、こうした空間理念については、春平太の「誰もが聖書を読むために」(新潮選書)「聖書のことがよくわかる本」(中経出版)などに図示されています。本屋で立ち見できますので、是非ご覧ください。
ともあれ、かいつまんで言えば、こう言うことです。天国というのは、創主の王国です。そこは、創主の真理に満ちています。創主は、そこに無数の天使を造って、自らの名を礼拝・賛美させます。
ところが、その天使の中に、配下の天使に自らを賛美させようとするのが出るのです。天国の中に、そういう自分が王として崇められる世界(空間)を造ろうとするわけですね。
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天使は霊的存在です。この天使は、そういう意識を持つことによって、変質してしまいます。サタン、悪魔に変質するのです。また、彼は天使の一軍の長でした。彼の配下の天使は、彼に従う結果、悪霊となります。聖書で「天の諸々の悪霊」とあるのは、それに相当すると思われます。
創主は、サタンが天国の中に自分の王国を造ることを許しません。天国は、創主の王国なのです。そこで、天国の一角に、別の空間を造ります。それは暗闇の空間です。これが宇宙です。そこに不従順で、自らに対抗した天使たちを追い落とし、閉じこめてしまいます。
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そして、その宇宙の中に、地球を造り、そこに人類の祖先とされるアダムとイブを造るのです。二人は、創主に常に意識を向け、創主を拝し、創主に従順な存在として造られます。しかし、この世は所詮、宇宙の牢名主たる悪魔の影響下にある世界です。純朴な二人は、まもなく悪魔の誘惑に乗って、創主から意識をそらしてしまいます。
その結果、彼らの意識も、悪魔の影響下に入ってしまうのです。そして、地球上の人類はその、霊的資質を受け継いできている、というのが聖書の思想です。だから、アダム以降の人間は、みな、悪魔の影響を受けた意識を内に持っていることになるのです。
具体的には、この世の人間は「創主に対抗する意識を心底に持っている」ことになります。
このように、天の意識と世の人々がもつ意識とは、絶対的に対立関係にある。そういう構造になっているというのが、聖書思想の奥義です。これを悟らずに聖書を読んでいると、皆おかしなことになってしまいます。そして、残念ながら日本の教会では、これがとても多いのです。
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ともあれ、以上がイエスは「人の心の内に何があるかを知っておられた」の意味内容です。だから、イエスは人の証言は受けない、ということになるのです。
ただし、後に、一定の人の意識(霊)のうちに、聖霊が入るという事態が起きます。その人の意識は、聖霊が支配します。そういう人の証言は、イエスは受けると言うことになります。
だから、後にイエスは、弟子たちに、聖霊を受けるまで、エルサレムを離れるな、と命じることになる、という筋になっているのです。
今回は、少し難しかったですね。ご心配なく。後にまた、説明をいたします。ともあれ、以上で2章は終わります。この章は、いよいよイエスが宣教を開始して、まず、何をしたか、を記録していると見ていいでしょう。
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