では2章に入りましょう。
イエスは、結局、自分に直接従う弟子として12人を選びます。これは後に12使徒と呼ばれるようになります。そのうち、ナサニエルまでの5人が弟子になるいきさつをヨハネは記しています。
それをまさに、イエスの脇にいたからこそ書けた筆致で描いています。あとは、どうして書かなかったか。弟子選びの記述としては、もうそれで十分だったからでしょう。
ヨハネは、続いて、結婚式でイエスが行った奇跡について書き残しています。これが後世、第2章として整理されることになったところの冒頭に記されています。
@ @ @
ナサニエルを弟子にしたイエスは、故郷であるガリラヤ地方に戻ってきます。この地域にカナという町があります。地図で言うとガリラヤ湖の近くで左下方、つまり南西の町です。イエスが育ったナザレは、さらにその近くの、その左下方にあります。
そのカナの町で、婚礼があった。そこにイエス、イエスの母マリヤ、それに弟子たちも招待されます。もちろんヨハネも一緒です。それほどにまとめて招待されるとは、一体、招待主はイエスとどういう関係にあったのか。それは記されておりません。
けれども、この時代の結婚式は、大きなお祭りです。村を挙げてみんなで何日もお祭りするのが普通だったようです。
ともかく、彼らは婚礼の場にいた。そうしたらワインが無くなってしまいます。予想外に招待客が飲んだからでしょうか。けれども、みんなを招待してのお祭りの場で、ワインが無くなったというのは、大事件です。
それは招いている婚家の名誉にもかかわるのです。だが、そのとき、生母マリアがイエスにそっと告げます。「ワインが無くなってしまったみたい・・・」
これに対して、イエスは、「わたしの時はまだ来ていません」といって母の言葉をたしなめるようなことを言います。だが、そう言っておいて、実際には水を良質のブドウ酒に変える、という奇跡を行うのです。
@ @ @
こういう母子のやりとりを記述しているということは、著者ヨハネはイエスにくっついていたと言うことですね。かれは結婚披露宴の招待席においてもイエスの脇を固めているのです。
また、以前はバプテスマのヨハネの側に付いていました。著者ヨハネは大物の理解者たるべく生まれたような人物、生来の側近タイプだったかも知れません。毛沢東の脇を固める生涯をおくった中国の周恩来のように。
イエスは、結局、自分に直接従う弟子として12人を選びます。これは後に12使徒と呼ばれるようになります。そのうち、ナサニエルまでの5人が弟子になるいきさつをヨハネは記しています。
それをまさに、イエスの脇にいたからこそ書けた筆致で描いています。あとは、どうして書かなかったか。弟子選びの記述としては、もうそれで十分だったからでしょう。
ヨハネは、続いて、結婚式でイエスが行った奇跡について書き残しています。これが後世、第2章として整理されることになったところの冒頭に記されています。
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ナサニエルを弟子にしたイエスは、故郷であるガリラヤ地方に戻ってきます。この地域にカナという町があります。地図で言うとガリラヤ湖の近くで左下方、つまり南西の町です。イエスが育ったナザレは、さらにその近くの、その左下方にあります。
そのカナの町で、婚礼があった。そこにイエス、イエスの母マリヤ、それに弟子たちも招待されます。もちろんヨハネも一緒です。それほどにまとめて招待されるとは、一体、招待主はイエスとどういう関係にあったのか。それは記されておりません。
けれども、この時代の結婚式は、大きなお祭りです。村を挙げてみんなで何日もお祭りするのが普通だったようです。
ともかく、彼らは婚礼の場にいた。そうしたらワインが無くなってしまいます。予想外に招待客が飲んだからでしょうか。けれども、みんなを招待してのお祭りの場で、ワインが無くなったというのは、大事件です。
それは招いている婚家の名誉にもかかわるのです。だが、そのとき、生母マリアがイエスにそっと告げます。「ワインが無くなってしまったみたい・・・」
これに対して、イエスは、「わたしの時はまだ来ていません」といって母の言葉をたしなめるようなことを言います。だが、そう言っておいて、実際には水を良質のブドウ酒に変える、という奇跡を行うのです。
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こういう母子のやりとりを記述しているということは、著者ヨハネはイエスにくっついていたと言うことですね。かれは結婚披露宴の招待席においてもイエスの脇を固めているのです。
また、以前はバプテスマのヨハネの側に付いていました。著者ヨハネは大物の理解者たるべく生まれたような人物、生来の側近タイプだったかも知れません。毛沢東の脇を固める生涯をおくった中国の周恩来のように。
宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、・・しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。・・彼は、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
このときのぶどう酒は一体どんな味がしたのでしょうね。
私はほとんどお酒を飲めないのですが、高価なワインを飲む機会があったときには美味しいと感じました。
イエス様が作られたワイン、とても興味があります。
私の育った教会は、明文化されてはいないものの、クリスチャンはお酒やタバコはご法度というところでした。
おかげで今もタバコの煙は公害のように嫌っていますが、お酒との付き合い方は社会人へと成長する中でいろいろ考えさせられました。
自分のスタンスは自然体でいることですが、あまり飲めないということが幸いしているかな、という気がします。飲みすぎは良くないと思いますので。
クリスチャンでお酒大好きという方は悩むこともあるのでしょうか。そういえばうちの父はどうなのだろう?
ネットコンコルダンスで「ぶどう酒」検索すると旧約では166件、新約では29件でした。
特にイエス様が天に帰られた後(福音書の後)はほとんど出てきません。
ぶどう酒の効果は、聖霊に酔うという、よりすばらしいものにとって替わられたんだと思います。
そうだ! いつも聖霊で乾杯しましょう!