イエスが十字架上で息を引き取ったのが金曜日。
土曜日はユダヤ人には絶対に安息していなければならない安息日だ。
日曜日にやっと動けるようになったマグダラのマリアは、早朝まだ暗い内に、イエスの墓前に立った。
イエスの遺体の少しでも近くにいたかったのだろう。
ところが、山の裾野に横穴のように彫られた墓の入り口で、中を塞いでいた石は転がされていた。
驚いたマリアは、弟子たちがいた部屋に向けて走った。
<弟子たちは閉じこもっていた>
この時点では一般人にとって、イエスは極刑に処せられた極悪人だった。
生前多くの奇跡をなしたようだが、やはり、罪のため捕らえられ処刑された犯罪人というのが人々の認識だ。
当時のイスラエルは律法をベースにした「ユダヤ教一色」の社会だ。
イエスの弟子と見れば、石を投げつけたり、殴りかかる人はいるだろう。
11弟子は危険を避けるために、部屋を閉め切って閉じこもっていた。
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マリアは弟子たちの部屋の扉をたたいて、墓石が転がされ入り口が開いていることを告げた。
ペテロとヨハネは、墓に走った。
マリアのいうとおりだったことを見て、また、部屋に戻った。
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以下、正確な追体験のために「ヨハネの福音書」をそのまま引用しよう~。
<墓前に立って泣き続けていた>
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しかし、マリアは墓前に留まり、泣いていた。
泣きながら身体をかがめて墓の中をのぞき込んだ。
すると、二人のみ使い(天使)が、イエスの身体が置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、
一人は足のところに、白い衣をまとって座っているのが見えた。
み使いは彼女にいった。
「なぜ泣いているのですか」
彼女はいった。「だれか私の主をとって行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
彼女はこう言ってから、後ろを振り向いた。
するとイエスが立っておられるのを見た。
しかし、イエスであることがわからなかった。
イエスは彼女に言われた。
「なぜ泣いているのですか。だれを探しているのですか」
彼女は、それを墓の管理人だと思って言った。
「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのかいってください。
そうすれば私が引き取ります」
イエスは彼女に言われた。「マリア」
彼女は振り向いて「ラボニ(先生)!」と言った。
(「ヨハネの福音書」20章11-16節)
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<マリアは二度振り返っている>
細かいことにこだわるようだが、ここでマリアは二度振り返っている。
最初は、
「なぜ泣いているのですか。だれを探しているのですか」と言われたとき。
イエスを墓の管理人だと思って
「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのかいってください。
そうすれば私が引き取ります」と言ったときだ。
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その後、ペテロとヨハネは部屋に帰ったが、マリアは墓前を離れなかった。
そして(ヨハネは記していないが)、また、墓の方を向いて泣いていたのだ。
だからイエスに「マリア」と呼ばれたとき、
「彼女は振り向いて」とヨハネは記しているのである。
<群を抜く思慕の深さ>
マリアのイエスを慕う気持ちは群を抜いていた。
このマグダラ村から付いてきた女性は、暴徒に殴られることなど、意に介さなかった。
その女性の肉眼に、復活のイエスは「まず最初に」その姿を見せたのであった。
(続きます)
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