鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.28『過越の祭に都で宣教開始』(2章)

2004年12月14日 | ヨハネ伝解読
 カペナウムの教会堂で教えた後に、イエスはいよいよ都・エルサレムに上り宣教を行います。時は「過越(すぎこし)の祭り」が近くです。

 過越(Passover)というのは、「通り過ぎる」と言うことです。
 旧約聖書(「出エジプト記」)によりますと、イエスの時代より1500年も前の昔、イスラエルの民は、エジプトで奴隷として暮らしていたことがありました。それをモーセが、今のイスラエルの地(カナン)に連れ戻すわけです。有名な「出エジプト」の話ですね。

 このエジプトでの奴隷時代、ある時創主はモーセにこう言われます。わたしはエジプト中のすべての初子のところに行ってそれを殺す。人の初子から家畜の初子に至るまで、すべて殺す。しかし、一歳の雄子羊を屠り(殺し)その血をかもいと門柱に塗った家は「過ぎ越す」(つまり、家に入って初子を殺すことはしない)、と。

 イスラエル人は、それに従いました。そうしたら、エジプト中に初子が死んで泣きわめく声が満ちたとき、彼らの初子だけは死を免れました。

 この時、創主はまた、代々守るべき永遠のおきてとして、この日にこれを祝え、と命じます。イエスの時代になってもユダヤ教では、これに従って、毎年過ぎ越の祭りを祝っていたわけです。

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 祭りは、首都エルサレムの神殿で大々的に行われます。神殿の前は、大きな広場になっている。広場の周囲は、太く高い柱が並んだ回廊(廊下)で囲まれています。そこに全国から人々がお参りに(祈り、礼拝しに)来るのです。

 ガリラヤ地方で宣教を開始していたイエスは、この年、一団を引き連れてここに向かいます。いよいよ国の中心地、都で宣教しようというわけです。
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